あ ら す じ

 恋が頬を膨らませて席に着いたところで、愛は急いで仔細しさいを尋ねた。

「恋、何があったの? 虐待、訴えるって……」

 恋は真剣に憤慨している。顔つきがマジだ。

「聞いてくれよ! あのオバサンがね、今日、僕らの分の夕飯、抜きにするって言うんだよ!」

「……恋」

「信じられるか?」

 信じられないのは恋の方だ。後から入ってきた菫と美静の母親が黙って席に着いたから、もしやとは思ったが、ここまでくだらないことだとは。

「……私たちは <児童> じゃないですからね。残念ですが損害賠償は──」

「取れない? こんな金持ちから金を取れないなんて、日本の裁判はふざけているよ!」

「ふざけているのは恋です!」

 一瞬でもハラハラして損した。大損害だ。夕飯ごときで、騒がしい。

 美静がお盆の上の茶碗を配膳し、申し訳なさそうに恋の向かいに座ったところで、夕食が始まった。

 利羽は白崎家の人間とは普通に会話している。ご飯の量が多いから交換して、と美静に交渉したり、子供が好きそうなハンバーグが皿の隅で威張っているのを指差しておかずをもっと欲しいと俊子にせっついたりしている。元気そうな利羽の様子に、愛は胸を撫で下ろした。

 恨めしそうにその様子を眺めていた恋が、愛を見上げた。

「じゃあ、愛はいらないんだね……」

「これだけお騒がせしたのだから、当然だよ」

「違う!」

 恋がニッと笑ったから、嫌な予感はしたのだ。しかもここ最近、愛の嫌な予感は命中率が高くなっている。

「コーレ。じゃーん、愛久手作りサブレ」

「それっ…… ! !」

 恋は四次元と思われるポケットから、ビニールの包みに入った、こんがり美味しそうに焼けているサブレを取り出した。出発前、恋と愛久がそんなやり取りをしていたのを思い出した。

「では、これは僕と愛久とハニーとでいただきます」

「恋! ちょ、ちょっと待って!」

「待ってと言われると……待ちたくなくなるなぁ。追えば逃げていくっていう法則どおり」

 恋はさすがのはしっこさで、手を伸ばした愛を妨害しながら包みを破ると、最も大きいサブレを瞬時に見抜き、一口で飲み込んで、意地悪く笑い転げた。続けて手に取った次に大きいサブレは、タイミングよく開いた菫の口に。

「はい、アーンして?」

「……おいしい! ちぃちゃん、良いお嫁さんになるでしょうねー」

「玉の輿こしを狙ってもらって、僕らは悠々自適に暮らそう」

「うん♪」

「他力本願ですか! ていうか性別違いますよ!」

「あそっか。んじゃ、逆玉でもいいや。石油王国のお姫様を落とせ。その日本人離れした外見でバーン、とハートを撃ち抜くんだ!」

「あの……石油王国のお姫様は外国人でしょうから、日本人離れした外見は見慣れているかと」

「あそっか。じゃあ、じゃあ、うーん……どうしよっかなぁ」

「恋、食べながら喋るのは下品ですよ。やめてください」

「やーだね」

「私の分のサブレがなくなるでしょう?」

 怒った声を出したつもりだが、嬉しくて、上ずってしまった。

 愛がこよなく愛する平和な日常を味わったのもつかの間。

「──美静ちゃん!」

 恋たちは凍りついた。

 美静がむせて、直後にテーブルに倒れこむ。

 また嫌な予感がした。

 身軽な恋がすばやく回り込んで抱き起こすと、美静の口の周りから胸にかけては深紅に染まっている。

 美静が吐いた血で、恋まで汚れていく。

 突然の出来事に菫は叫び声をあげたが、愛は妙に落ち着いていて、自分が嫌だった。まず右手で携帯を開き、119番をダイヤルする。それから、高校入学祝いに父から譲ってもらったアナログ時計を確認。手馴れてしまった作業だ。

「美静ちゃん、美静ちゃん」

 恋が呼びかけても美静の身体は力なく、恋に抱かれることでようやく首が据わっている状態だった。

「……文脈、無視しすぎだっつうの」

 恋は声が震えていた。怒っているのか泣いているのか。どっちもだと思う。

 作戦はよくできていた。全員が全員を監視していたはずだ。その状況で、どうやったら美静に毒を盛れるのか。

「──美郷ちゃんは?」

恋が低い声で呟いた。うつむいていて表情は窺えない。

「自室です……」

 愛のせいではないが、冷や汗がつたう。次に被害者になりうる人物──単独行動はやっぱりさせちゃ駄目だった。

 美静をそっと仰向けに寝かしたかと思うと、次の瞬間には敏捷にリビングを出ていた──と思ったが、すぐに顔だけ戻した恋は、

「……美郷ちゃんの部屋って、どこだっけー?」

 こんな時までボケている名探偵だった。

 

2006年2月13日号掲載

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