「ダーリン♪」
部屋を訪ねて来たのは、小さい水玉模様のパジャマを着た菫だった。
愛はものすごく焦って、超特急でTシャツを被ったのだが、菫は愛の方をチラリとも見なかった。それはそれで寂しい。
「おぉ、マイスイートエンジェル!」
恋は勢いをつけて跳び起き、菫に抱きつく寸前で急ブレーキをかけた。服が血まみれだ。残念無念で肩を落としたが、すぐ立ち直って、手を取った。
「どうしたの?」
「怖くて、部屋に一人じゃいられないの」
菫は甘え声で言った。まるで親と寝室を別にしたばかりの子供だ。
「ダーリンがいれば、もう安心」
「そうだね。ずっとこっちにいればいいよ」
「それに、ダーリンに教えておきたかったこともあるの」
菫は深刻そうにそう前置きすると、恋に勧められてベッドに腰かけてから口を開いた。
内容は、なぜ愛久が利羽を殴ったか。菫は愛久本人から理由を聞きだしたと言った。驚きだ。
「ハニー、愛久の心まで開くとは、君は女神だね!! その説得力、僕も見習いたいなぁ」
「私も。愛久のように口の堅い人から事情を聞く方法をご教示頂きたいです」
「……う?……うん、いつでも教えるよ?」
その <間> は何だ? 問う前に話は進む。
「ちぃちゃんのこと、怒らないであげてね。……それはもう、私個人としてはっ、すっごく怒ってやっても良いかな、って思っているんだけど、ダーリンにひどいこと言ったのにもわけはあったみたい……」
「恋、愛久を直接責めるのは逆効果です。……愛久に限らず、誰かに何か言われて傷ついたりしたら、私をクッションにしてくださいね」
ようやく、言ってあげられた。愛久が恋を傷つけたのは察していたが、慰めるチャンスをつかめなかったのだ。
恋はしばらく足元を見つめて黙っていた。が、突然パッと顔を上げて、手を打った。
「……ね、トランプでもしない?」
何か──おそらく、嬉しさによる照れを──隠すために笑い、大きい鞄を探りはじめる。そんなものまで持参していたとは。
菫は不服そうに恋の背中を叩いた。
「やだ、そんな遊び、修学旅行みたいじゃない」
「じゃあ……何して遊ぶ?」
「そうね、私はダーリンと……」
「ババ抜きにしましょう」
放っておくとさらに羽目をはずして良からぬ方向に展開しそうだったので、愛はゲームを自ら申し出た。意味はないけど腕まくりをする。
「……愛はトランプ強いから仲間はずれね」
恋は不機嫌そうな顔をして、ケースからトランプを出し、手品師のようにカットした。
「ババ抜きは二百九十八勝二百九十七敗です。決着を今夜つけましょう」
ババ抜きは二人でやると、異常に早く終わる。カードゲーム本来のスリルはない。だから醍醐味もないのだが、恋とは数多く伝説の戦いを繰り広げてきた。
「ダーリン、頑張って!」
「ちょっと、小学生じゃないんだよ? 大人のトランプっていったらポーカーでしょ」
恋は勝手に勝負内容をすり替え、勝手に決定したらしく青いビニールの財布を取り出した。
「僕、小銭持っているから」
「え、ポーカーは……何勝何敗でしたっけ……」
「愛視点で、三百六十一勝三百六十二敗」
恋のものでも愛のものでも、もちろん菫のものでもない低い声の返事がして、全員ドアの方を見た。
そこには、腕を組んだ愛久が立っていた。
「ちぃちゃん……」
菫に呼ばれても、愛久は切ないのか困惑しているのか、微妙な表情を浮かべて黙っている。
恋は構わず、ザラザラと小銭をばら撒いた。
「よく見て置け、愛久。これぞジハードだ。僕が勝ったら、愛と愛久には廊下で寝てもらう。ハニーと僕で部屋を使うからね!」
小悪魔を髣髴とさせる笑顔で明るく笑う。まるで愛久に言われたことを忘れたかのように。
愛久は、恋と目を合わせて一回、ゆっくり瞬きした。それからグッと前を睨んで、恋の前に立ち、
「すまなかった」
九十度以上頭を下げ、はっきり言った。それきり、じっと動かない。
たとえ相手が忘れていても、傷つけたことはきっちり謝る。大抵は気を使った、忘れたフリであることが多いからだ。愛久は筋を通したのである。
過去、愛が先導しなければ被害者に謝罪できなかったことを思えば、成長だ。どうしてこう急成長をとげたのかは、愛には見当もつかない。あとは恋がどう反応するかだ。愛は硬くなって、愛久と同じようにじっとしていた。
「もう良い。頭を上げぃ」
冗談めかした恋の言葉が、緊迫して凍りついていた場に温度を戻す。
「それでこそ僕の弟だ」
恋は愛久の綺麗な髪がぐしゃぐしゃになるまでかき回し、いつも通り、飽きたところで突き放した。
ただ、その目が本当に嬉しそうで、愛もつられて頬が緩んだ。
「設定が同じでもエンディングは違う──今どきRPGでもできることだろう? 役に立つ、役に立たないの問題で、好きになったり嫌いになったりするわけない。ずっと好きだ。愛久は僕の弟なんだから」
部屋の中が笑顔で一杯になった。そんな気がした。
今回の事件を解決しに群馬まで足を運んだ意味はあったと思う。白崎一家揃って一つの事件に立ち向かうことは、今まであまりなかった。それによっていらぬ衝突や、すれ違いが起きたが、それを乗り越えた後には大きな団結力が残った。それだけで多くの収穫だったと言える。
だが、愛の喉には、まだ氷が一つつかえたままだった。
美静のことが思い出されてならないのだ。自分でもどうしてかわからないが、せめてもの餞に、なんとしても事件を解決しなくては。
愛は決意も新たに、恋に協力していこうと心に誓った。
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