あ ら す じ

 誰もいないと確信して侵入した部屋のベッドから声がして、愛久は心臓が口から飛び出るかと思った。全身から一気に冷や汗が噴き出す。

「誰?」

 声が再び尋ねたが、すっかりパニックに陥った愛久は答えられなかった。

「恋お兄さんだよ、利羽君」

 教育番組の体操のお兄さんを真似た恋の声。震えていてもおかしくないはずなのに、優しい。

 その平和きわまりない台詞に水をかけられたように目が覚め、愛久は落ち着きをとり戻した。頼りがいのある恋が隣にいることを思い出した。

Bonsoirボンソワール

 恋は胸に手を当てて、ベッドにお辞儀した。

「何しに来たの?」

 モグラのように頭だけ出してこちらを向いた頬には絆創膏。まぎれもなく愛久が殴った方の頬。利羽だ。

「隠れんぼさ」

 即答した恋に、愛久はまた目を丸くした。即興でつき通せる嘘じゃない。飄々ひょうひょうとしているが、大丈夫だろうか。

「愛が鬼で、僕らは逃げているんだ。ハニーは捕まっちゃったみたい」

「隠れんぼ?」

 利羽は疑っている。が、恋は愛に似た表情で首をかしげた。

「あれ、利羽君は隠れんぼ、知らない?」

「知っているよ、でもぼくが聞きたいのはそうじゃなくて」

「まずジャンケンして鬼を一人決めるんだ。それから鬼が十数える前に……」

「……もういいよ」

 完全にはぐらかした恋に利羽は追及を諦め、ベージュの毛布を被った。

「君のお母さんには、僕らがここに来たこと言わないで。愛は勘と悪知恵が働くから、俊子さんから僕らの居場所を聞きだそうとするだろうからね」

 人を納得させる舌先三寸の技量については、やはり恋は愛よりも劣る。人の神経を逆撫でする屁理屈なら負けないのだが。しかし利羽は呆れたのか、突っ込もうとさえしなかった。

「この家って、意外に隠れるところないんだよね。人がいない部屋には錠がかかっているし。美郷ちゃんの部屋にはさっき入れたけど……留守のときは錠かけるのが家庭内ルール?」

「……うん」

「廊下にも時計しかなかった。柱時計に隠れられるのは、子ヤギでも確率七分の一だもんね。そしたら偶然、この部屋が開いていたからさぁ。……どこかに隠れてもいい?」

「お好きにどうぞ」

「言ったね。ありがとう。さぁて、どこに隠れようかな」

 恋は嘘をつき通すらしい。隠れんぼをしているフリで独り言を言いながら、おもむろにクローゼットを開くと、上半身を突っ込んでゴソゴソと探っている。

「やめてよ!」

 利羽が飛び起きて叫んだが、恋は構わず調査を続行した。

「好きにしていい、って言ったじゃん」

 まるで子供の喧嘩だ。しかしここまで無茶したのだから、愛久も怖いものはなくなった。恋の頭上からクローゼットを覗き込む。

「隠れ場所探しているんだからしょうがないよね? それとも、見られたくないものでもあるの?……あーっ!!」

 恋はトレーナーを指先でつまんで引っ張り出した。まったく同じ、色違いの二着だ。

「なんで同じの二着も持っているの?」

「洗い替えに」

「懐かしいなー、僕も昔、同じ服を二着ずつ、色違いで買われていたよ。双子だからお揃いで着てとか言ってさ。母さんが」

 恋は洋服屋のように綺麗にトレーナーを畳むと、クローゼットに戻した。次は机の上の玩具箱、その一番上にあったモデルガンに目がいく。

「リヴォルヴァー風か、悪くないね」

「!! 触らないで!!」

 利羽は布団を飛び出すと、恋の手からモデルガンをひったくった。恋は驚いた顔をしたが、すぐに笑った。

 外がだんだん騒がしくなってくる。警察が帰ろうとしているのだ。イコール、俊子が部屋に帰って来る時が近いということになる。

「……鬼が来る。ずらかるぞ、愛久」

「あ? あぁ」

「利羽君、Au revoirオルヴワール

 たった数分で、もういいのか。恋は利羽の冷たい視線に見送られて部屋を出た。勝ち誇って、胸を張っていた。

 

2006年4月3日号掲載

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