p r o f i l e

 人は、そのくらいの短い間なら息を止めていられるはずだし、もともと身体は浮くようにできているはずだし、そもそも足を伸ばせばぎりぎり立てるくらいの深さかもしれないじゃないか。頭ではわかっている。それでも圧倒的な水量が作り出すパワーに、なすすべもないのだ。

 ぽかっと、水面に顔が出る。それで安心はできない。ふたたび波に巻き込まれることもある。顔が出たそのチャンスに、とにかく一息。ゆっくり吸い込む時間はない。だから浮かび上がる直前に、鼻からすべての息を吐き出し、口をぱっと開ける。人の身体は、ちゃんと、その一瞬に新しい空気を取り込むように、できている。

 板の浮力を頼りにリーシュコードをたぐり、手さぐりで板を抱き寄せ、再び海面に半身を浮かべ、荒い息をつきながら、鼻のつーんとした痛みに顔をしかめながら、そして汚い話、海水まじりの鼻水をずるずる垂れ流しながら、わたしたちは、懲りずにピークを目指して漕ぎだし始める。

 だれもが巻かれるのはいやで、苦労して沖に漕ぎだしていくのはごめんで、そこまでマゾヒストではないのだけれども。

巻かれる
 三十秒くらいはふつう息をこらえることができるはず。それなのに、なんて息苦しいんだろう。心の準備ができていないからなのだろうか。ほんの五十センチほどの高さの波に巻かれただけでも、人間は波の力に逆らうことはできない。

 テイクオフのタイミングがずれる……ただたんにこける……乗り終えたときにうまくプルアウトして波からはずれることができない……目の前で『おばけ』と呼ばれるときたまの高波が崩れはじめる……うまく波の斜面に食い込んでいたはずの板が体重移動のミスで弾き飛ばされる……波打ち際で転がされる……ゲティングアウトして沖に向かうはずがスープの白い泡に押し戻される……ありとあらゆる場合に、わたしたちは、巻かれる。

 洗濯機の中に放り込まれたよう、と、人は言う。

 明るいほうが空、暗いほうが海底、それが目まぐるしく回転する。回転しているのは自分だ。手を伸ばしたその先が海面のはずなのに、そのわずかな距離が遠く、そのわずかな時間が長い。

 ふだんの海では、海底がサンドだとわかっているから、それほど恐怖はない。リーフと呼ばれる、岩や珊瑚礁の海では、巻かれることが大怪我や死に直結する。また、想像もつかないような大波に巻かれれば、その衝撃で意識を失い、そのまま溺れてしまうこともある。サーフムービーの映像には、幾多の死や恐ろしいパーリング、ワイプアウトが映し出されている。何年か前には、わたしの地元のプロサーファーがハワイで頭部に大怪我をし、意識不明のまま病院で息を引き取った。

 死と隣り合わせのスリルを楽しみたいとは思わないし、あの息の詰まる体験は、いやでいやで仕方がないのだが、ときには、さんざん巻かれて気持ちよかったとさえ思う。わたしだけが特別なのではなく、じっさい、久しぶりのグランドスウェルの1ラウンドのあとなど、挨拶がわりにそんなことを言いあう。自然の力に翻弄される快感というのを、どうやら、人間、本能的に持っているらしい。

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2007年7月16日号掲載