*M・コズモ03号
(1988年1月31日)より転載

はじめから読む

text/安宅久彦who?

 民宿についた日の翌朝のことだ。久実と二人ではじめて浜辺を散歩し、求めていた潮の香を胸いっぱいに吸い込んで、淡いながらも旅の目的をひとつ達成したような満足感にひたりながら宿に戻ってきたとき、俺たちは例の長女との初対面をちょっと妙な形で果たさねばならなかった。というのは、ちょうどそのとき娘は素裸で、玄関のわきの井戸の前に立ち母親に体を洗っているところだったのである。朝早くに年ごとの体を井戸水で洗うというのはどういう文化的背景にもとづいたおこないであるのかよくわからず、ずいぶん面くらったが、その後はそうした光景を見ていない。ということは、別段それは毎日の習慣というわけではなく、何かその日にそういうことをする特別な理由があったのだろう。とにかくとうに初潮を向かえているにちがいない中学生の長女の裸身は朝の光を浴びてとても生々しく正視を許さないものがあったし、それに南国の少女にしては色の白い肌を海綿でゴシゴシ洗いたてる母親の手つきにはどこか懲罰的な気配といったものが漂っていたので、俺と久実はあわてて目をそむけ、挨拶もせずに部屋に上がってから顔を見合わせたものだった。そして娘も、そのときは俺たちの姿をまったく無視しているように姿勢を変えず、あらわな胸や下腹を隠しもせずに母親のかける冷たい水を全身に浴びていた。

 別に長女に限らず、この宿の一家は誰もが、こんな季節外れの時期に長逗留をきめこみ何をするでもなく毎日ブラブラしている俺たち二人を得体の知れない客として敬遠している様子だった。それは無理もない話で、俺たち自身、わざわざ二週間も休暇をとりながらこんな縁故もない土地に来て芸もなく日々をすごしている自分たちを奇妙に思うことがあった。

 

 三日目に雨が降った。午後まで部屋で雨音を聞いていたが、とうとうたまらなくなり傘をさして二人で濱に出掛けた。雨が海面をたたく音が意外に大きなものだとそのとき思った。こんなに大きな水の堆積を、較べものにならないくらいちっぽけな水滴がたたいているだけなのに。海も自分を持て余しているように見えた。

 夕方には学校から帰ってくる姉妹の姿をときおり見かけた。雨の日には台所に座って詰まらなさそうに少年ジャンプを読んでいる次女を見かけたし、天気のよい日は玄関の前で萎れた向日葵の種を掌に摘んでいる長女を見かけた。彼女は浜から帰ってくる俺たちの姿を見かけると、すぐに踵をかえし裏口から身を隠すのだった。そして俺たちが風呂を浴びに一階に降りてくる時間には絶対に廊下に出ることがなかった。

 家族のなかで俺たちに好意らしきものを抱いているものがいたとすれば、それは小学校の次女だった。彼女も俺や久実に声をかけることこそしなかったが、廊下や玄関で行き会うときには大きな眼をまじまじと開いてこちたの顔を見上げて何かいいたげな様子をした。一度などは食事を運んでくる母親のあとについて、二階の客間まで上がってきたことさえあった。彼女も長女に似て他の少女たちに比べれば肌の色が白かったが、お転婆らしくいつも膝小僧にバンソウコウを貼っていた。


      2005年
516日号掲載