三日前のこと(この手紙を書き始めた時点でそれは一昨日のことだったが、いまはその晩から一夜が明けてしまっている)、俺と久実がT――市の親戚の家から帰ってくると、海辺の街では映画祭の準備がすっかり整っている様子だった。T――市はここから電車で一時間ばかり山のほうへ入ったところにある、盆地の小都会である。そこに住んでいる久実の親戚に、会いに行きたくはなかったのだが、旅行に出発する前にそこに挨拶の手紙を出しておいた手前、義理でも一度は顔を出さないわけにはいかなかった。その家で一夜を明かし、出発をつげて蓬莱の台が置かれた薄暗い玄関でスニーカーの紐を結んでいると、後ろに座ったその親戚の小母さんは小声で「よくあんな何もないところに泊まって」と言い、その家のものはそれまで誰も二人に小言めいたことを言おうとしなかったが、その言葉には何かとがめだてをするような響きを聞きとらずにはいられなかった。
海辺の街の駅から、すでに飾り提灯で派手派手しく支度された商店街を抜けて宿に帰り着くと、玄関には街の世話役が二、三人、映画祭の団扇や菓子、チラシなどを配りに来ているところだった。人数は何人、と世話役たちは宿の主人に尋ね、ちょうどそこへ戻ってきた俺と久実の顔を確かめるように見てから引き上げていった。渡された団扇には、「××街街制施行一〇周年」などと書かれていた。
海水のスクリーンに映画を写すというこの変わった趣向の映画祭は、前年からこの土地の年中行事に加わったもので、T――市でもポスターを見掛けた。もっっとも海岸の写真をあしらったそのポスターには、栗原小巻主演「忍ぶ川」ときわめて簡潔に映画の題名が書かれていたものの、その上に赤で×印がつけられ、「変更、時代劇をやります」と訂正の文句が記されているだけだった。世話役が置いていったチラシを見ても、ブラスバンド演奏、来賓あいさつ、花火大会などの式次第はあるものの、映画の題名については「ニュース映画上映」とある下に「劇映画・内容未定」とあるだけで、やはりわからない。こんな田舎では、フィルムを借りるための手配もつけ辛いのだろう。
映画祭がその晩に行われることはもちろん承知していたし、東京からこの土地にやってくるについても当初からその行事を見る心づもりがあったわけだが、その日になってみると、街に流れている祭りを待ち望む浮き浮きした気分に同調できず、かえって気の重いものを感じた。こんなことなら、親戚の家にもう一晩泊まってくるのだった、とさえ思われた。
しかし、夕食が来るまで部屋でT――市での買い物の包みを開いたりなどしながら、次第に高まってくる外の喧騒に耳を傾けているうち、俺たちの気分も少しずつ興奮に染まってきた。下駄履で窓外を行き交う人たちが陽気な声で挨拶をかわす声や、いつもより活発さを増した子供たちの声が聞こえた。また、海岸の方角からは敷設されたマイクの調子をためす音や鳴り物の声がきこえてきた。
2005年5月23日号掲載
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