*M・コズモ03号
(1988年6月30日)より転載

はじめから読む

text/安宅久彦who?

 民宿の家族たちと屋根に上がってしばらくすると、海からの風に乗ってブラスバンドの演奏が聞こえてきた。

 民宿のスレート葺きの屋根の上に、俺と久実を含めた七人が花火の光を浴びて腰を降ろしている。家にある限りの蚊遣りを屋根の上に上げて焚いているため、闇目にも濃い白煙があたりにたちこめ、背後の山裾のほうへ尾を引いて吹き寄せられていく。ここから海のほうへ続く下り道沿いに並んだ民宿や民家の屋根の上にもやはり同じように家族が登って、蚊取り線香の煙をもうもうと立ちのぼらせているのが見える。もっとも、この道をおりきった海に近いあたりの家々は暗く静まりかえっている。そのへんの家からでは、おそらく海岸に向かって隆起した土地と海岸通りを隠すように生い茂っている防風林とにさえぎられて、屋根に登っても海面を望むことができないのだろう。そのあたりの人たちはみな浜辺に出ているのかもしれない。

 もっとも、山に向かってかなり高い所に位置するこの民宿の屋根からでも、催しの行われている浜辺を望むことはできない。およそ二キロは離れているだろう海岸にはおそらく演壇が置かれ、屋根や客席が設けられて提灯の灯のもとに人々が賑わっているのだろう。その明かりが海岸通りに近い立木の縁に照り映え、ざわめきがここまでつぶだちとなって伝わってくる。風向きによっては、海辺の人たちの会話の一言ひとことまで聴きとれる瞬間もある。また、風が静まると、ブラスバンドの喧騒さえ耳元から奪われるように遠のくこともある。

 ブラスバンドの曲の合間に花火がさかんにうち鳴らされる。その光が、海岸通りの上方に帯のように見える海面を青く白く照らしだす。閃光と音x響のあいだにはかなりの間があり、さらに間をおいて紫色の硝煙が匂いとともに風に運ばれてきて屋根の上の人たちを順々に包み込む。

 久実は宿の者に手渡された西瓜の皿を手に持って先割れスプーンで目につくかぎりの種をほじくり出そうとけんめいになっている。そんな努力にもかかわらず、花火で白く照らされた頬には黒く濡れた種子がひとつぶはりついているのがおかしい。宿の二人の娘たちは少し退屈そうに静まって、口に含んだ西瓜の種を屋根の向うの薄暗い空間に吹き飛ばしている。主人夫婦は、庭を隔てて棟を並べる隣家の家族たちと大きな声で挨拶を交わしている。

 宿の婆さんは、浴衣の前をくつろげて団扇で風を送り込みながら、方言の強い言葉で何かさかんに俺に話しかけようとする。この婆さんをまじかに見るのはこの民宿に泊まってはじめてのことだ。俺の受け答えがはかばxかしくないのを見てとって、やがて話しかけるのをあきらめたらしく、しわだらけの手でキャラメルの皮を剥き口に入れ噛みはじめた。

 ブラスバンドの演奏が止み、来賓の県知事による挨拶がはじまった。マイクを通した県知事の声は、海岸に設けられた放送施設のほか、海岸線にそって既設の海浜放送、そして海から山裾にかけてあちこちに建てられた農協の有線放送塔からも流され、町全体に聞こえるよう配慮されているらしいのだが、四方からの音声がズレて重なりあうため、かえって言葉を聞きとりにくくしている。さらにこの位置からでは、背後の山からの反響や風の影響も加わるため、挨拶の内容を理解するのはほとんどできそうになかった。

      2005年66日号掲載