*M・コズモ03号
(1988年6月30日)より転載

はじめから読む

text/安宅久彦who?

「みんながこうして騒いでおるときに、仲間はずれは辛いものじゃからな」と宿の婆さんが言って、たもとから出したハイライトの一本に火を点けた。

「久実も鶏に触りたい」めずらしく久実がそう言い、娘たちのほうに寄ってまだ瞼を神経質にけいれんさせている鶏の背中を撫でようとした。鶏を腕に抱いていた下の娘は、目あたらしく目映そうに久実を見上げ、手にした鳥を彼女に手渡そうとした。二人の腕の間で、鶏の薄い瞼が閉じられ、ゆっくりと開いた。巣ベラかな羽につつまれた鶏は久実の手をすべり、桶を越えて屋根の下へころげ落ちていった。暗がりで強い羽ばたきの音が聞こえ、屋根の上の全員が端によって庭を見下ろそうとした。

「大丈夫かな」と久実がきまり悪げにつぶやいた時、ファンファーレが聞こえ、海のほうで水音が高鳴った。

 金水も知っているとおり、大学時代から久実には折にふれて睡魔にとらわれ、どこででも眠りにおちるという周期傾眠症の傾向があった。このときも、久実は大きな名古屋コーチンが彼女の手を逃れて闇へ落ちていったときから急速に眠けに襲われ、映画の上映についてはほとんど記憶に残っていないという。実際、みながその場で繰りひろげられた景観の途方もなさに目を見張っている間に、いつのまにか久実は自分の部屋に下りて床に就いてしまったらしい。気がつくと彼女の姿は屋根の上になかった。だからポンプで空中高く持ち上げた海面にフィルムを映写するというその晩の野放図な映画上映について、彼女の証言を求めることはできない。

 それは実際、噴水の大規模なものという印象を離れて、文字通り海が持ち上がるという感じに近かった。最初は、沖合五〇〇メートルぐらいのところに設けられた数個の噴水孔から水が吹き上げられているというようにしか見えなかったが、やがて地響きを伴う轟音とともに水勢が最高潮に達すると、その高さは数百メートルと優に水平線を越し、すきまなく連なって白銀に輝く水の壁が、湾曲した町の海域を横断する形で立ちふさがった。浜辺から、周囲の家々から、いっせいに歓声があがった。

 町の後背にそびえる山から海に向けて強い光線が投射され、立ち上がった水のカーテンを間近に浮かびあがらせた。宿のオバさんが言っていた、小学校の校庭に設けられたという映写機からの光だろう、振り返って見ると、光源が山の中腹の闇に目を開いている。その光に照らされ、水幕の頂上では、噴きあげられた水が細かく泡だち、震え、花びらのような飛沫を空に向けて飛ばしていた。そこから水は滑らかに落下し、空中にスクリーンを描いたあと海面に崩折れて、濛々とした霧を水幕の足下に煙らせている。強烈な光線のため水煙のなかに一すじ、虹が立ちのぼり、映画がはじまってからもずっと画面の右下隅をリボンのように飾っていた。

 会場に突風が吹き込むと、水幕はわずかに上端の線を乱してよろめいた。しばらくしてその風が陸に届くと、海から運ばれた水しぶきが雨のように屋根を打った。

 宿の婆さんは、膝を抱えたまま袂から不動尊のお守りを取り出し、口のなかでしきりに念仏を唱えている。

 子守歌を歌うような声が聞こえてきた。

 ニュース映画の上映が始まった。

2005年620日号掲載