*M・コズモ03号
(1988年6月30日)より転載

はじめから読む

text/安宅久彦who?

 手紙の最初のほうで書いた、映画会のあとに起こった事件とはこういう顛末だったのだが、以下は翌朝宿の主人に尋ねてきいた話である。御坊さんはこの町の海域の守護神のようなもので、「ご入定さま」とも「お住持さま」とも呼ばれている。本当は奘繧という名前もあるそうなのだが、町の人はだいたい御坊さんと呼んでいる。いつから、なぜそんなものが海に現れるようになったのか、「わしらも余所からここに来たもんで」あまり詳しいことは知らない。町にはその坊さんと生前つきあいのあった人もいるという話だが、みんな年寄りだったので死んでしまったかもしれない。御坊さんは四年に一度の町の大祭の時に浜へやってくる。例年の夏祭や秋祭の時には来ない。来た時には浜辺に糯米をつんでもてなしをする。御坊さんはそのお礼に見たこともない妙な形の魚の死んだのを波打ち際にならべて帰るが、それらは神社と寺に奉納するので誰も食べたことはない。魚は干しておいてもすぐ腐ってしまい、とても嫌なにおいがする。それから、御坊さんが来たあとはしばらく不漁が続くという。

 そんなわけで普通なら今年は御坊さんの姿が見える年ではないのだが、映画会で浜辺のほうが明るくにぎやかになったので、大祭をやっているかと勘ちがいして浜まで来てしまったのだろう。このところ、時々そんな勘ちがいがある。去年の映画会のときはこんなことはなかったが、一昨年には台風のあとで沖あいのほうに姿を見せられたことがある。(そこで、いや、それは去年のことだ、と婆さんが主張した。)

 昨晩は御坊さんが浜辺まで来ていることを町の屋台の物売りが見つけ、消防署に連絡した。そこで町長以下、町の偉いさんたちが浜に出て、海を騒がせたことをお詫びした。その折、来年の大祭には皇族のかたもおみえになる。その時には御住持さまにも出ていただいて、会っていただく予定だ、誰かがそんなことを言ったらしい。今回の催しに知事などの要人が着ているのに御坊さんを呼ばなかったことで、気を悪くしておられるに違いないと思ってそんなことを言ったのだろう。それを聴いて御坊さんはやっと納得して海へ帰っていかれたというが、朝にはその話が町中に伝わり、そんなことを約束しても大丈夫なのか、本当に宮様はお会いになるだろうか、と危ぶむ声がしきりだという。

2005年710日号掲載