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 夏に強い僕は、汗が顎から滴り落ちるのも厭わず、精力的に虫捕りに励んだ。
 ギンヤンマ、オニヤンマ、シオカラトンボ、ムギワラトンボ、カナブン、カブトムシ、ノコギリクワガタ、コクワガタ、ハラビロカマキリ、オオカマキリ、クマゼミ、ヒグラシ、ミンミンゼミ、アブラゼミ、ショウリョウバッタ、オンブバッタ、トノサマバッタ。数え上げれば、切りがない。
 家から自転車で行ける辺りで捕れる昆虫の、有りと有らゆる種類を捕まえた。
 昼間は虫捕り網を振り回し、夕方家に帰ると自分の部屋で、虫籠の中でしがみついている昆虫を飽きずに眺めて時を過ごした。翌朝、母が仕事に出かけると、昆虫採集セットの中から、注射器と薬品と、メスを取り出し、暫くは標本と言うよりは解剖を楽しんだ。母が居ないときに限ってするのは、もちろん母がこんな事にうつつを抜かす僕のことを、気味悪がってヒステリックに叱り飛ばすから、それを回避したいが為に他ならなかった。
 カマキリの胸に注射針を刺して、薬品を注入した。余りたくさん入れても漏れて来たので、程ほどの所で止めた。大凡おおよそだった。適量は気にしなかった。動かなくなったカマキリを、紙の上に拡げて、メスで腹を割くと、中から出てきたのは白っぽい膚色の内臓だった。内臓と言っても、切れ味の悪いメスで切り裂いたためかどうか、出てくる物はペースト状のもったりとしたものだった。他にもバッタなどの腹の柔らかい昆虫で、何度か試したが似たり寄ったりで、さほど面白くもなくすぐに飽きてしまった。
 それからは、標本作りに熱中した。
 しかし、そのセットに入っていた物以外にも、三角紙、捕獲瓶、展翅板てんしばんなど、たくさんの道具が必要だったことや、手順も軟化、内臓取り、展翅、展脚など様々な工程があったにも拘わらず、道具の手立てが出来る訳でもなく、また工程を大きく省いたため、捕っても捕っても碌な標本は出来なかった。
 蝶も色々と捕まえたが、僕の虫捕り網では捕ったときにはもうはねが傷んでいることが多く、また、巧く捕まえられても、段取りを知らなかったため翅を綺麗に拡げられず、結局標本にするのを泣く泣く諦めた。しかし、捕っては殺し、はりつけにするという、その一連の作業に魅入られていた。
 
 自転車で坂道を上っていく。
 蝉の声が五月蠅うるさく追いかけてくる。
 僕は、はあはあと息を弾ませながら、あと少し、もうちょっと、と自分を励ましながら自転車を漕ぐ。今年の春に買ってもらった自転車は、24インチで僕にはまだ少し大きい。でも、すぐに大きくなるからと、母が選んだ。いつものことだが、僕に選択の余地はない。赤、というよりは濃いピンクのサドルとフレームで、いかにも女の子らしい色だった。僕の好きな色は、茶色と緑だ。だが、そんな色の自転車なんてある訳ないでしょ、これにしときなさい、と母の鶴の一声で決まってしまった。
 その女の子仕様の自転車に跨ると、僕はスカートを履いて漕いでいく。坂道に差し掛かると、最後まで足を着かずに漕げるかどうか、試してみたくなった。今も、太腿がぷるぷると震えるように負荷が掛かっている。あと、一息だ、頑張ろう。また、胸の裡で自分を励まして、立ち漕ぎをした。虫捕り網を片手で押さえながらの運転なので、時々ハンドルがぶれて心許ない。しかし僕は、何とか目的の場所まで、足を着かずに到着出来た。暫くは、自転車に跨ったまま、つま先立ちで呼吸を整えた。
 タカオの家が、目の前にあった。
 ゴールデンウィークに、工場の日帰り旅行で会ったきりだった。タカオは、六年生になってからぐんと身長が伸びたようだった。記念写真の中のタカオは、すでにおばさんの身長を追い越して、隣に並んだ僕との身長差も益々開いていた。そして、声が掠れておかしかったことも、想い出した。
 タカオは、おばさんが相当な教育ママらしく、幾つも塾に通っていると聞いているし、僕は僕で習い事がまた増えて忙しく、折角自転車に乗れるようになったのに、なかなか来られずにいた。
 心弾ませて来たにも拘わらず、自転車から降りてハンドルを握ったまま、入ろうかどうしようかと、以前より大きくなった斑入りマサキを見ながら、ぐずぐずとしていた。何と言って、入ろうか。遊ぼう、と言って入って行くには、僕はもうそれほど幼くなかった。同い年の友達ならまだしも、タカオは二歳も上だ。
 考えあぐねた末にまたサドルに跨ると、家の前の広い敷地を、意味もなくペダルを漕いで旋回した。
「おい、そこで何してるんだ。」
 がらりと、玄関の戸が開いて、タカオがそこに立ったまま、言った。変声期真っ只中の声だった。

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2009年11月16日号掲載

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