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9.
夏に強い僕は、汗が顎から滴り落ちるのも厭わず、精力的に虫捕りに励んだ。
ギンヤンマ、オニヤンマ、シオカラトンボ、ムギワラトンボ、カナブン、カブトムシ、ノコギリクワガタ、コクワガタ、ハラビロカマキリ、オオカマキリ、クマゼミ、ヒグラシ、ミンミンゼミ、アブラゼミ、ショウリョウバッタ、オンブバッタ、トノサマバッタ。数え上げれば、切りがない。
家から自転車で行ける辺りで捕れる昆虫の、有りと有らゆる種類を捕まえた。
昼間は虫捕り網を振り回し、夕方家に帰ると自分の部屋で、虫籠の中でしがみついている昆虫を飽きずに眺めて時を過ごした。翌朝、母が仕事に出かけると、昆虫採集セットの中から、注射器と薬品と、メスを取り出し、暫くは標本と言うよりは解剖を楽しんだ。母が居ないときに限ってするのは、もちろん母がこんな事に
現を抜かす僕のことを、気味悪がってヒステリックに叱り飛ばすから、それを回避したいが為に他ならなかった。
カマキリの胸に注射針を刺して、薬品を注入した。余りたくさん入れても漏れて来たので、程ほどの所で止めた。
大凡だった。適量は気にしなかった。動かなくなったカマキリを、紙の上に拡げて、メスで腹を割くと、中から出てきたのは白っぽい膚色の内臓だった。内臓と言っても、切れ味の悪いメスで切り裂いたためかどうか、出てくる物はペースト状のもったりとしたものだった。他にもバッタなどの腹の柔らかい昆虫で、何度か試したが似たり寄ったりで、さほど面白くもなくすぐに飽きてしまった。
それからは、標本作りに熱中した。
しかし、そのセットに入っていた物以外にも、三角紙、捕獲瓶、
展翅板など、たくさんの道具が必要だったことや、手順も軟化、内臓取り、展翅、展脚など様々な工程があったにも拘わらず、道具の手立てが出来る訳でもなく、また工程を大きく省いたため、捕っても捕っても碌な標本は出来なかった。
蝶も色々と捕まえたが、僕の虫捕り網では捕ったときにはもう
翅が傷んでいることが多く、また、巧く捕まえられても、段取りを知らなかったため翅を綺麗に拡げられず、結局標本にするのを泣く泣く諦めた。しかし、捕っては殺し、
磔にするという、その一連の作業に魅入られていた。
自転車で坂道を上っていく。
蝉の声が
五月蠅く追いかけてくる。
僕は、はあはあと息を弾ませながら、あと少し、もうちょっと、と自分を励ましながら自転車を漕ぐ。今年の春に買ってもらった自転車は、24インチで僕にはまだ少し大きい。でも、すぐに大きくなるからと、母が選んだ。いつものことだが、僕に選択の余地はない。赤、というよりは濃いピンクのサドルとフレームで、いかにも女の子らしい色だった。僕の好きな色は、茶色と緑だ。だが、そんな色の自転車なんてある訳ないでしょ、これにしときなさい、と母の鶴の一声で決まってしまった。
その女の子仕様の自転車に跨ると、僕はスカートを履いて漕いでいく。坂道に差し掛かると、最後まで足を着かずに漕げるかどうか、試してみたくなった。今も、太腿がぷるぷると震えるように負荷が掛かっている。あと、一息だ、頑張ろう。また、胸の裡で自分を励まして、立ち漕ぎをした。虫捕り網を片手で押さえながらの運転なので、時々ハンドルがぶれて心許ない。しかし僕は、何とか目的の場所まで、足を着かずに到着出来た。暫くは、自転車に跨ったまま、つま先立ちで呼吸を整えた。
タカオの家が、目の前にあった。
ゴールデンウィークに、工場の日帰り旅行で会ったきりだった。タカオは、六年生になってからぐんと身長が伸びたようだった。記念写真の中のタカオは、すでにおばさんの身長を追い越して、隣に並んだ僕との身長差も益々開いていた。そして、声が掠れておかしかったことも、想い出した。
タカオは、おばさんが相当な教育ママらしく、幾つも塾に通っていると聞いているし、僕は僕で習い事がまた増えて忙しく、折角自転車に乗れるようになったのに、なかなか来られずにいた。
心弾ませて来たにも拘わらず、自転車から降りてハンドルを握ったまま、入ろうかどうしようかと、以前より大きくなった斑入りマサキを見ながら、ぐずぐずとしていた。何と言って、入ろうか。遊ぼう、と言って入って行くには、僕はもうそれほど幼くなかった。同い年の友達ならまだしも、タカオは二歳も上だ。
考え
倦ねた末にまたサドルに跨ると、家の前の広い敷地を、意味もなくペダルを漕いで旋回した。
「おい、そこで何してるんだ。」
がらりと、玄関の戸が開いて、タカオがそこに立ったまま、言った。変声期真っ只中の声だった。
> 11.
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