「この先に、池があるんだ。」
やっと追いついて、息が上がって喋れない僕に、タカオは前置きも何もなく、そう言った。僕は、釈然としないまま、しかし言い募る言葉も持たず、じっと目を見た。
「あのな、眼鏡みたいな池なんだ。誰にも、内緒にしてたんだぜ。」
僕は何故か、胸がきゅんと締め付けられて、余計にはあはあと喘いだ。
「この傷、どうしたんだ。」
突然、タカオが僕の目の前でしゃがんだ。膝の裏側に手を添えられて、僕は身体を、電気が走ったようにびりびりと震わせた。タカオの指が、ぎゅっと脚を握ったので、ますます身体が震え、狼狽えた。
「どうしたって、聞いてるだろ。」
「タカオちゃんが見えなくなって、怖くなって、走って、そいで、そいで……。」
「転けたのか。」
胸が詰まって喋れず、僕は頷いた。
「来い。」
タカオは僕の手から虫捕り網を取り上げると、手を引いて歩き出した。
森の中のように早足ではなかった。タカオなりに、僕の脚を気遣ってくれているのだと感じて、さっき森の中で置き去りにされたことなど、忘れかけていた。僕は、タカオの手が凄く大きく感じて、どきどきしていた。僕の掌は汗にまみれぐっしょりと濡れていた。それに引き替えタカオの掌は、冷んやりとさえしていて、とても恥ずかしくなって来た。しかし、手はぎゅっと握り締めたままだった。
棚田の間の畦道を、ぴょこぴょことびっこを引きながら歩いていった。
タカオの顔を見て安心したせいか、途端に傷口がざくざくと痛み出し、庇うような歩き方になっていた。タカオが先を歩き、僕は手を引かれながら後ろをついていった。
「もうじきだ。」
「え?」
「池だよ。眼鏡池。」
「眼鏡池って言うの?」
「俺が名前付けたんだ。本当は何て言うのか、知らない。」
少し上り坂になって来て、タカオは僕に合わせたのか、また少しだけゆっくりと歩いてくれた。
風が渡って、心地よかった。
「わあ。凄い。ほんとに眼鏡みたい。真ん丸い眼鏡だね、タカオちゃん。」
「だろ?」
上りきったところに、眼鏡池はあった。
正円にも見えるほど、丸かった。その二つの池の間をこの道は続いて行く。池の周りに道はなく、二つの池を分かつように小径が通っていた。その池のちょうど真ん中辺りまで、二人は手を繋いだまま歩いていった。池畔には、蒲の穂が揺れていた。茶色いそれは、少し重たげで、葉の揺れよりも緩やかに揺れていた。その穂の形に、暫し見蕩れていた。
「おい、池に下りれるんだ。着いて来い。」
2009年11月30日号掲載