タカオがそれを見届けると、虫捕り網を置いて水辺に行った。前屈みになり水を手で掬って持って来た。ちら、と一瞬僕の顔を見ると、その水をちょろちょろと膝小僧に掛け始めた。
乾き始めた血は、少々の水では落ちなかった。何度も何度も、掬ってきては掛けてくれた。僕は、タカオが一心にその作業をするのを、無言で見守っていた。だいぶ繰り返した頃タカオは、掌で傷の下から足首まで伝った血糊を擦り始めた。タカオの手と僕の血との間から、パレットで乾いた絵の具を水を含ませた筆で擦って溶け始めたときのような、ねばねばとした感触が伝わって来た。生臭い血の臭いが漂い、何故か僕は恥ずかしさに居た堪れなかったが、タカオはひたすら擦り続けた。何度か擦ると、また池から水を汲んで来て、掛けてまた擦った。タカオの手も、血の色に染まっている。そうするうちに、べったりとついていた血の色も、だいぶ薄くなってきた。向う脛から脹脛に掛けて、ちょろちょろと水が滴り、こそばゆい感覚に思わず身体がぷるっと震えた。タカオが僕の顔を見た。「水が垂れたのが、擽ったかったの。」
聞かれもしないのに、僕はそう答え、そして含羞かんだ。
向う脛の血が殆ど落ちた頃、タカオは傷の上にもう一度水を掛けると、擦り出した。痛さに、膝がびくりと動いた。しかし、言葉は発せず我慢していた。下唇を噛んで、手を拳に握り締めた。しかし、傷口とそれを擦るタカオの手から、視線を外さなかった。食い入るように見つめていた。自分でも、何故痛いとも言わず我慢しているのか、よく分かっていなかったが、そうすることに密かな喜びを見出していた。
「よし、綺麗になったな。」
僕は、頷いた。
「虫籠、壊れちゃったな。」
それを思い出し、少ししょんぼりとしたが、しかし、もうこれが終わってしまうことの方が、残念だった。
「ちょっと待ってろよ。」
タカオは草を掻き分けながら、歩いて行ってしまった。
僕は少しだけ不安だったが、仕方なく待った。ぼんやりと、池を見た。光を反射して眩しい池の真ん中で、何かが動いていた。こちらに向かってくるそれを、目を凝らして見た。蛇だった。身体をくねらせながら、鎌首を擡げて、岸を目掛けて泳いで来る。持ち上げた喉元は、鮮やかな黄色をしている。どんどん近づいてくるのに、僕は全く動けなかった。怖いくせに、蛇が優雅に泳ぐ姿に感動していた。
しかし、すぐそこまで迫っている。
「ほら、蒲の穂だ。」
タカオの突然の声に、びくりとして仰ぎ見た。すぐ横に立っているのに、足音に気づかなかった。
「何だよ?」
僕はきっと、顔を強張らせていたのだろう。
「蛇、蛇が居る。」
「えっ、何処に?」
「泳いで、こっちに来る。」
「ええっ?」
タカオも慌てて、水面を見た。
「あっ。」
しかし、蛇は上陸せず、右に旋回して遠ざかって行った。
「吃驚したなあ。蛇って泳ぎ上手いんだ。お前、知ってたか?」
「ううん、知らなかった。」
「だよなあ。でも、上がってこなくてよかったな。」
頷きながら、タカオの興奮が僕にも伝わって、嬉しかった。
2009年12月7日号掲載