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 道はまだ、中程だった。
 歩きながら、しゃぶっては爪先を見て、匂いを嗅いだ。
 爪の間に入り込んだ肉桂はなかなか取れなかった。爪先についた複雑な匂いも、なかなか取れなかったが、決して厭な訳ではなかった。自慰の後、いつも長い間そうやって匂いを嗅ぐのが癖になっていたのだ。
 くんくんと嗅いでいたら、タカオがはたと立ち止まって振り返った。
「なあ、さっきの蛇、凄かったな。」
「う、うん。」
 突然言われて戸惑い、匂いを嗅いでいたのを見られただろう事にも狼狽うろたえて、吃ってしまった。タカオは何故、急にそんなことを思い出したのだろうと、訝しみもした。
「蛇はなあ、男の象徴なんだぜ。知ってたか。」
 象徴とは、どういう意味だろう。その意味自体は、ぼんやりとながら分からなくはなかったが、何故男と関係するのだろう。そこまで考えて、鎌首を擡げたまま進む蛇の姿と、先程のタカオの突起とを思い出し、何となく納得してしまった。タカオは、さっきのことをずっと考えていたのかも知れないと思うと、匂いを嗅ぎながら同じ事を考えていた僕は、共犯者意識にも似た感覚を覚えていた。
 タカオもきっと、さっきのことが忘れられないのだろう。そう思うと、嬉しかった。
 
 タカオとは、ぼそぼそと別れの言葉を交わし、自転車に跨った。
 懸命に自転車を漕いで家に帰ったのに、玄関を開けるといきなり母に大目玉を喰らった。
 僕がタカオと一緒に出掛けたことは知っていたらしいが、今まで母よりも遅く家に帰ることなどなかったので、心配半分怒り半分といったところのようだった。膝を大きく擦り剥いていることも、心配するよりも怒りの対象のようだった。それよりも、草の汁や泥にまみれたワンピースを見た母は、ヒステリックな声でお転婆も程ほどにしなさいと叱った。きいきいと何時までも叱るので、うんざりとしながら頭を垂れて遣り過ごした。虫捕り網と虫籠は自転車の横に置いてきたので、虫捕りに行っていたことも言わず仕舞いになり、虫籠を壊してしまったこともばれずに済んだ。しかし、何をして遊んでいたのかとも聞かれないことに、少しの淋しさも味わっていた。
 母は、叱るだけ叱ったら気が済んだのか、夕飯の支度に台所に行ってしまったので、僕は薬箱からオキシフルを取り出して脱脂綿に浸すと、傷の手当を始めた。しゅわしゅわと泡が限りなく立ち、激痛に痺れるようなのを堪えながら、歯を喰いしばり何度も拭ってみたけど、こびりついた血はなかなか取れなかった。そうしながら、昼間タカオが蒲の穂で傷の手当をしてくれたことを、思い出していた。
「何時までやってるの。勿体ないからもう止めなさい。」
 台所から覗いた母が、僕の様子を見るや否やそう駄目出しをしたので、すっきりしないままオロナイン軟膏を塗って手当を終わりにした。しかし、居間の座椅子に凭れながら、テレビの画面を眺めていても、昼間のことがずっと頭から離れず、ぼんやりとしたままタカオのことばかり考えていた。
 痛かったこと、しかし、タカオの優しさが嬉しかったこと、タカオの悪戯っ子のような笑い顔、そして蒲の穂のような突起。そこまで思い出すと切なくなり胸がきゅんとした。同時に女性器もきゅんと疼いた。この、胸と女性器が同時に疼く感覚は、一体何だろう。僕は説明する言葉を持っていなかった。
 
 暫くすると、父が帰って来た。
 まず僕の膝の傷に気づいて、吃驚したようだった。
 なんでそんなに擦り剥いたのかと、親として当然のことも聞いてくれたので、僕はちょっと躊躇った後、虫捕りに行って坂道で転んだと、秘密の部分はすっかりこそげ落として喋り始めた。途中の森の中で、タカオに追いつけず泣いたことは黙っていたが、タカオが水で洗って蒲の穂で傷を労わってくれた辺りになると、口を尖らせ身振り手振りも加え、得意気に喋り捲っていた。
「そうか。タカオちゃんに優しくしてもらえてよかったね。」
 そう言って、父は微笑んだ。
 僕は大きく頷いた。僕も自然に笑みが溢れていた。

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2009年12月21日号掲載

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