カイエは、胸ポケットから二体のマスコットの付いたキーリングを取り出した。一匹は白とベージュでできた、羊。もう一匹は、茶色い躯に白い尻尾を持ったウサギ。
「ねえ、ブランカ。問題が解けないんだ。」
ウサギが云う。もちろん、カイエが喋っているのである。だが、カイエにその自覚はないようだった。
「ブランカ、コフィは親切だ。お礼を云うんだ。」
「わかった、カイエに伝える。」
カイエは二体を胸ポケットに戻して、
「あの、コフィ、ありがとう。」
「おまえ、それ、本気でやってるのか?」
「そうだよ。ブランカとブラウンは、僕の友だちなんだ。」
「おまえ、何処か悪いのか?」
カイエは、シロップでビタビタのホットケーキを頬ばりながら、
「セーシンチタイなんだって。くるくるのことだよ。」
「くるくるパーか。」
「そう。」
カイエは最後のひと切れを口に押し込んだ。シロップがじゅわっと広がる。舌がよろこぶ。
「もっとちょうだい。」
「太るぞ。」
「二日間食べていないんだ。」
コフィは肩をすくめて、冷凍庫をあけた。ホットケーキ二枚入りのパックを、レンヂにかける。
「いいか、ご主人さまはオレだからな。勝手なことはするなよ。」
「例えば?」
「エサを食べたり、死んだりだ。」
「散歩はいいの?」
「ああ、自由にしろ。当座の金だ。」
コフィはカイエが想像もつかないほどの紙幣を無造作に手渡した。
「ありがとう。」
「なんだ、ちゃんと云えるんじゃないか。」
「さっき、ブランカとブラウンに相談したから。」
カイエは大きな欠伸をした。
「眠るんだったら、リビングのソファで寝ろ。」
「ヤダ。ベッドがいい。」
「ぢゃ、オレの入るスペースはあけとけよ。」
「わかった。」
カイエは、ホットケーキを食べたあと、寝室に入り、ダブルベッドの端に躯を丸めた。カイエは、ブランカとブラウンに、おやすみ、と不明瞭な声で云って、眼を閉じた。
眼が醒めると、コフィが珈琲を飲みながら水彩画を画いていた。少女のヌードだ。花びらが画面全体をおおっている。
「お眼醒めか、」
「僕、どれくらい眠ったの。」
「三時間ていどだ。」
「それ、ツェザーレ氏の絵に似てるね。」
「立派に嫌味も云えるのか。くるくるのくせに。」
「嫌味なんか云ってないぢゃないか。」
「オレはツェザーレ氏専門の贋作家なんだよ。彼のコレクションは散逸しているからな。売りやすい。」
「誰に売るの?」
「フロックコートが売りさばいている。仲介は、スーだ。」
「僕にそんなこと、喋っちゃっていいの。」
「おまえはどうせ、くるくるだ。しかも、警察は味方にならないらしい。つまり、こっち側の人間だ。」
「ブランカ、こっち側って何処のことだろう。」
「メェ。ベッドの隅で寝たのを褒められたんぢゃないかな。」
「そうぢゃない。」
いきなり会話にコフィが割り込んできたので、カイエは心底驚いた。
「え、この子たちの声、あんたにも聞こえるの。」
「まあね。」
「凄いや。夢みたいだ。」
「否、誰にでも聞こえるとおもうぞ。おまえがひとりで喋っているようにしか見えないし。」
「メェ。侮辱だ、ブラウン。」
ブランカが云った。
「まあいいさ、僕らの声が聞こえるんだから。これまでは誰も相手にして呉れなかったのに。」
「そうだね、うすのろのカイエよりはマシかもね。」
2008年10月20日号掲載
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