コフィは立ち上がって新しい珈琲を注ぎにいこうとした。
「あの、もしよかったら、僕、珈琲を運ぶよ。」
「そうだな。おまえに頼むか。氷の場所はわかるな?」
「うん。」
カイエはグラスを握ってキッチンに駆けていった。慎重に、グラスの汗を拭き、氷を足し、ピッチャーから珈琲を注ぐ。
「はい、コフィ。」
「いいワンちゃんだ。」
コフィは気分の変動が激しい。先刻まで臨界点ギリギリに引き絞られていたかとおもうと、突然、凪ぎが訪れる。
今、コフィは落ち着いていた。珈琲をちびちびやりながら、赤や黄色をうんと薄めて、化粧紙のように少女の躯にかぶせてゆく。コフィが参考にするのは、ごくありふれた、ポージング人形一体だけである。
「どうして、ツェザーレ氏を選んだの。クリムトとか、ミュシャのほうが、派手好みのあんたには、合ってる気がする。」
「オレの心は繊細なの。クリムトのゴテゴテも、ミュシャの華美も、オレには強すぎる。」
「あんたより強い人間がいるとはおもえないけど。」
すると、コフィは妙な笑いかたをした。カイエは、深く追求しなかった。もしあのとき、
「何故笑うの?」
と、尋ねていれば、状況は変わったろうか。カイエは今でもあのときのコフィの、奇妙な笑いかたを忘れられない。
スーは、毎日食餌を届けにきて呉れた。赤い髪が鮮やかに眼に焼き付く。スーの運んでくる夕食を食べるのは、カイエだけだった。コフィはビールを飲むのみだ。
「あいつに、オレが食べていないって云うなよ。」
「うん。でも、美味しいよ。ね、ブランカ。」
「ばらには劣る。」
「ブラウンはどうなのさ。」
「なんでゼリーが六種類もあるんだ。毎日、ゼリーとハンバーグ。スーはイカレている。」
「僕、ゼリーもハンバーグも好きだよ。」
「メェ。馬鹿かおまえは。」
ブラウンがカイエを罵る。
「このたわけ!どうしてこんなメニュなのか、考えろ。」
「僕、くるくるだから、考えるの苦手なんだ。」
「この怠け者!だから、おまえは駄目なんだ。」
「そう、つらく当たるなよ。」
コフィが云った。彼もブランカとブラウンとの会話に慣れていた。時折、自分から話し掛けさえするのである。
「だってこいつ、くるくるのパーなんだもん。」
以下次号
2008年12月7日号掲載
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