「メェ。毛皮も一着、羽織っていったほうがいいね。今年の寒さは記録的だから。」
「それこそ、泥棒ぢゃないか。」
カイエが云ったが、ブランカは何処吹く風である。
「僕は寒いのはイヤだもの。」
「取りあえず、いつ出発するか、だ。昨夜の今日では、枕探しの娼婦みたいでいただけない。」
「否、タイミングとしては、今がいちばんだ。行動しろ、カイエ。」
ブランカに云われて、カイエは立ち上がった。絵の金額分の金をあちこちから集め、黒い毛皮のコートを羽織った。
『お世話になりました。僕は出ていきます。さようなら。』
一筆書いて、キッチンテーブルに置き、そっと鍵をあけた。
外に出て空を見上げると、まだ星々が残っていた。月は沈んでいる。
「さて、どちらへいこう。」
「きみは、自由だカイエ。」
ブランカがポケットのなかで云った。
「海岸沿いにモテルがあるぢゃないか。あそこに当座は居座ろう。絵でも画いていれば、時間は過ぎる。」
「お金がなくなったら?」
「メェ。カイエの絵は売れ線らしいぢゃないか。」
そんな訳で、文房具屋が店開きするのを待って画材類を一セット買って、モテルに入った。スチームがちりちりと音を立てる、安モテルだった。だが、ここならば、数ヵ月は滞在できる。
カイエは、絵を画きはじめた。ばらのペタルを浮かべた浴槽からはみ出して重ねられた、脚。『いつか必ず腐ってゆくわ。』と、書き添えて、青一色で彩色する。
「サインはどうしよう。僕たちは三人いる訳だから。」
「カイエでいいだろ。」
「ブランカもそれでいい?」
「いいよ。」
そこで、カイエは、目立たぬところに、Kと署名した。
翌日は、小鳥の絵を画いた。カイエの画くものは、すべてこれまでに見てきた記憶だけである。よって、モデルも、ポージング人形も不要だ。
小鳥は、車に轢かれて、内臓を飛び散らせていた。あのときの、赤や黄色を、青で塗る。『さようなら、夏の日。僕は遠くで咲きます。』
十二色セットの絵の具を買ったので、白も使うことができた。青と白だけで表現する。Kと署名する。
そんな風にして、たちまちひと月が経った。スケッチブックが一冊埋まった。そこで、また文房具屋へいって、スケッチブックを買ってきた。食餌はコペパンで済ませた。
ついに、半年が過ぎた。
「コフィはまだ生きているかな。」
「あのぶんだと、もう駄目だね。」
「戻ってみようか。」
「メェ。きみがそうしたいのなら。」
カイエは、疾うに不要になった毛皮を出してきた。
安モテルのクーラーは効かず、毛皮を抱くだけで苦痛だった。カイエは、チェックアウトの手続きをし、金が足りなかったので、毛皮を渡した。
2009年3月30日号掲載
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