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じ ま り
小雨の中、空かせた腹をすこしでも満たそうと空っぽの冷蔵庫を尻目にアパートの部屋を出た。街をあるけば何かにありつけるかもしれない。いつかは歩いているだけで人形のような女にハートの形をしたチョコレートのかけらをもらい、また別の風船のような女には小さなプラスチックのカップに2センチほどはいった赤ワインを差し出された。
5時間ほど繁華街を徘徊したが、上着のポケットがティッシュでふくらんでいくだけであった。いつのまにか雨はやんでいる。古い革靴にはさっきの雨がたっぷりとしみこんで歩くたびぐずぐずと不快な音をたて、靴の先のわずかな隙間から汚水が流れ出る。このままアパートにもどる気にもなれないまま、歩道のごみ集積所のわきに座り込んだ。もしかしてとおもってまた体じゅうのポケットを調べたが、無論なにも出てくるはずもなくパリパリとビニールの袋が擦れる音がするだけであった。夕暮れまぢかの湿り気を含んだ空をみながら、針金をただまげただけの指輪を路上で売ってちょっとばかし儲けた知りあいの友達のはとこの話というやつを思い出し、俺もなんかそういうことするかな。小声でつぶやいてちらりと隣のごみの山に眼をやる。くちがほどけたゴミ袋の隙間からバウムクーヘンらしきかたまりがみえた。どうやら封さえきらずに捨てたようだ。ひろうか。どうしようか。せめて誰も見ていなかったら。いや。たとえ誰もみていなくともこれに手を出したらもう歯止めが利かない。身を落とす。という感じではなくおそらく新しい扉をひらいたときのようにまた違う景色のなかへ解放されてしまうのだろう。広がるという感じか。落ちれば這い上がればいい
のだろうが、広がった感覚を収束させるのは難しそうだ。弛緩ぶりはいつも状況が悪化するほどに発揮され、最悪の事態にヘラヘラとしてまわりから気味悪がられる。世の中の風景としてやっていく資質は十分備わっているかもしれない。ぽんとそっちへ飛び込みたい衝動あるいは単になんでもいいから口にほうりこみたい食欲をやっとの思いでおさえて、ビニール一枚の何ミクロンかの厚みが自分とかつての食物をへだてている距離について考えた。考えはやがて、ほんの数メートル目の前を行き過ぎる自分よりはるかに幸せそうに見えるものたちとのはかり知れぬ隔たりについておよんだ。その値が大きいと感じられるほど、わたしという輪郭はぼやけていくようだった。そのうちなにかひどく重たいものが背中へどんどん落ちてくるようで顔をあげていられなくなり、いつのまにかひざに顔をうずめてそのまま眠った。浅い眠りの中で、何日ものを口にしてないか考えているうち、ここ2ヶ月ほどあまり思い出すこともなかった連中の顔がゆっくり浮かんできた。
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