……………………………………………………………… タ
ッ フ ィ
クライエント:タッフィ
1905年生まれ
被毛:キャラメルミルクの巻き毛
目:ピスタチオ・グリーンのセルロイド
自覚症状:夢遊、徘徊
ぼくが生まれたのは1905年の南ドイツ。そう、君がさっき必死に調べていた通り、ぼくはある有名なぬいぐるみメーカーの工場で造られた。ただ、君の憶測と違うのはぼくはクリスティーズにもサザビーにもこの先かかわることはないだろうということで、つまりぼくのブランド価値というものはほぼゼロに等しいんだな。なんでかっていうと、ぼくは商品ではなく試作品としてつくられたものだし、しかも試作品としてでさえ正規のものではないといえばいいのか、会社の幹部が関わってつくったものではなくある縫製工が会社の素材をつかって勝手につくったものだったんだ。もちろん、彼女はもともと器用でセンスもある人だったので、ぼくはコピー品というよりは、もしかしたらそれ以上の出来の最高のテディベアかもしれないと自分でも思う。でも、コレクターたちはぼくを見ても、細部の奇異な部分をめざとく見つけるだろうし、そんないわれのはっきりしないものものに多額のお金を払おうとはおもわないだろうな。君はまだまだ目利きがあまいね。がっかりさせて悪いけど。
そのポーランドから働きに来ていたエルという名の女工はぼくをつくった翌年、アメリカの販売会社からたびたび工場におとずれていた商品管理部のロイという男とやがて恋におちて、アメリカへ渡るんだ。ぼくと一緒にね。あのころのアメリカは本当に伸び盛りの若々しい青年みたいだった。都市は急激に大きくなって、ボストンからサンフランシスコにいたるまで、元来の都市の中心地から外に向かって何マイルにもわたる地域が、まとまりなく開発されていって、都市の規模はもはや歩いて行ける距離内を悠々と越えてひろがり、人々は移動の自由を得て活発に働いた。さらに貧民と金持ち、移民とアメリカ生まれのアメリカ人、黒人と白人といった異なる社会集団が、すぐ近くに住んでいるような現象も見られなくなって、そのかわり、都市は労働者階級移住区、移民や黒人のゲットー、環状にひろがる郊外、ビジネス街にはっきりとした同心円を形作りながら地域区分されていったんだ。
もともとロイが田舎育ちだったことと、エルがポーランド移民で教養もなく英語がおぼつかないということもあって、彼らはわずらわしい関わりを避けるように郊外に新居を構えた。少し田舎過ぎるとさえ思われる家だったけど、ゆるやかな傾斜の丘に立つ素朴で美しい家だったよ。前に居候をしてた骨董屋で、アンドリュー・ワイエスって、アメリカの画家の画集をみたことがあるんだけど、そのなかに遠くにある家に向かって草原の中に倒れ込んでいる女の人の後ろ姿を描いた絵があったんだ。あの絵をみたときにね、ぼくはあの女性はエルだ。ってすぐにおもった。風にふかれている女の後ろ姿は、なぜか決して幸福にそうには見えなかった。何かをすっかり失っちゃっているひとの、ずうっと満たされないような、叫ぶ声が風に消されてしまっているような、つまりぼくのなかでエルはずっとそういう後ろ姿をした女性だったんだ。
2004年4月19日号掲載
(以下連載中)
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