わたしに「ゴッサン」というあだ名をつけたのは確か田尾だった。「ゴッサン」「ゴッド」つまり「神様」だ。侮蔑も込めて軽く「ゴッサン」と呼ばれ連中にありがたがられた。6歳で小学校にはいって18で高校を卒業するまで、ほとんどのクラスメイトに顔と名前を一致して覚えてもらうことがなかっただろうわたしのある種の才能「神懸かり的におひとよし」という性質を、大学に入って少しは人付き合いに積極的になっていたわたしのなかに目ざとく最初に見いだしたのも、おそらく田尾なのだった。その彼を中心とする少し派手なグループにわたしは入れられたことを実は少し楽しんですらいたし、連中の生まれ育ってきた薄っぺらい家庭環境が透かし見えるような、際限ない我儘をほとんど完ぺきに聞き入れてやることに生き甲斐すら感じていた。そうして、わたしは彼らのパパ、ママを越えて「神様」になったのだ。彼らはわたしを見つけると必ず開口一番、鼻にかかったような妙な声で「たのむよー、ゴッサン」とあいさつするようになっていった。だが、誰にどう説明しても、理解してもらえないかもしれないが、わたしはその時も、いまも、なにも感じてはいない。怒りも惨めな気持ちもわかないのだ。そして、自分でも不思議なのは彼らに好かれたいからとか、彼らが好きだという気持ちすらなかったのだ。やはり、これは世の中のなんの役にもたたないがひとつの能力、あるいは体質とでも呼べるものなのかもしれなかった。卒業してそれぞれにコネを駆使して企業に就職してからも、彼らはなにかとわたしに「たのむよー、たのむよー」とまとわりつき、あいかわらずバイトを転々としてたわたしから離れなかった。そんな関係が十年を越えてしまったころ、田尾の吐いたほんのささいな言葉にわたしははじめて「傷つく」という体験をして彼らへの怒りをあらわにした。彼らはひどくおののき、そして、しらけた。あっけなかった。誰もわたしと連絡をとらなくなり、なぜかそれからのわたしは、バイトをくびになったり、ひとから理不尽な怒りをかったりとさんざんな目にあっていたのだ。30歳をすぎてようやく自我でも芽生えたような。つきものがおちたような、どうにも抗えない流れに入ったように感じていた。彼らとの関係は自分にとってなんだったのか。考えてもしかたのないことだった。忘れよう。そう、思いながら、雑踏が遠ざかるのを感じ、より深い眠りの淵をのぞきこんだとき、なにかやわらかいものが全身をつつんだような感覚にみまわれ顔をあげた。
ぼうっとみまわしてもまわりには誰もいなかった。あたりはすっかり暗くなり、空にはまだ厚い雲に覆われているのか、星も月もない漆黒がいつのまにかひろがっていた。ここで一夜を過ごすわけにもいかずしかたなく立ち上がり一歩踏み出したとき、なにか柔らかいものを踏んだ。もにゃり。という感覚を自分の足の下に感じて「あああ」とたよりない声を上げる。誰かを踏んだ。そう思った。生き物をあやまって踏みつぶしたときのどんよりとした後悔の手応えだ。おそるおそる見ると、薄茶の巻き毛のかたまりがあった。人の毛。まさかな。目を細めながら顔を近付けてみる。死んだ犬。ちがう。テディベアだ。苦笑する。なんだ人形か、踏んづけて悪かったな。なにげなく拾い上げてよごれをはらってみるとそれはなかなか愛らしいようすをしていた。ぼんやりながめているうち、こいつをもっときれいにしてみたらどんなふうになるのだろう。と、ふと興味をそそられた。もしかしたら外国製の高価なものかもしれない。さらに、これが古いものであったとしたら。こういうものに破格の値が付くということはよく聞く。想像力はさっきとは違う活力を得て、希望に満ちた方へむかって際限なく広がっていき、頭がい骨の中身のおめでたさを自嘲しつつも最後に収穫があったことで、わたしはようやく軽い足取りで家路につくことができた。
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