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タッフィ

 

 

 アパートの部屋の電灯下であらためて見てみると、そのテディベアは、じつに古めかしい形状と素材によるもので、あきらかにかなりの年代物のようであった。それなりの価値のある「モノ」にはやはりオーラのようなものがみえたりするものである。

 わたしは数年前に廃品回収業のバイトをしていたころのことを思い出した。たいていのバイトは長くはつづかなかったが、あれだけは5年ほど続いた。ある事情で子供を養わなければいけない頃だったので、なかなかやめることも出来なかったのだ。親方の都倉さんは、ちょっと変わった人物でその風貌からは想像つかないほどにやたらと美術品や骨董品に詳しく、仕事でそういった知識が役に立って臨時収入を得ることもしばしばで、わたしも彼の影響からなのかそのころ骨董品に夢中になった。何より、金目のものを見逃してはならなかったからだ。軽トラを駆ってクラシックをフルボリュームで流しながら都倉さんのシモネタを聞きゴミを集める。そんな日々だった。

 テディベアの誕生は1902年にさかのぼる。ドイツの田舎街でマルガレーテ・シュタイフという女性が、自身の手足の不自由さを克服して洋裁を学んだ後に立ち上げた、フェルト専門店のクリスマス向けに発売したぬいぐるみシリーズから発展したものだ。それまでの置物に近いような品のよさを携えたフェルトの動物たちから一転して、彼女の甥の提案により、手足が動いて子供が遊んだりだっこしたり出来るクマのぬいぐるみが創られた。当初、ドイツでは受け入れられなかったもののアメリカのバイヤーの目に留まったことで、やがてアメリカで時の大統領の「テディ」という愛称をもらい爆発的なヒットとなるのだ。

 拾ったベアはその細部にいたる特徴において、おそらくシュタイフ社製のごく初期のものだった。おそらくというのは、確かにシュタイフの証であるボタンとタグが耳についてはいるのだが、通常左についていなければならないはずのタグは右側に、それも二つもつけられてていたのだ。ひとつには、番号となにやらドイツ語の単語がデサイン性のない文字で二、三刻まれているだけの味気ない白い綿布のタグで、もうひとつはもう少しかわいらしい水色のリボンだが社名はなく、赤い糸で「toffy」という愛らしい文字が刺繍されていた。このベアの名前だろうか。裏にも「Malron」とやはり赤い糸で記されている。どちらも名前のようであるが、どうして二つもついているのかは、よくわからなかった。そして、なによりわたしがこのベアに対して慎重にならざるをえなかったのは、百年ほど前のものだとは思えないそのぬいぐるみの状態のよさだった。本物なのか、レプリカなのか混乱した。もしこれが、例えばシュタイフがテディベアを初めて世に送り出した頃のもので、しかも限定品で、さらにこのような美しいままの姿で残っているのだとしたら、彼がいるべき場所はもとゴミ屋の四畳半の畳の上ではなく、クリスティーズのオークション会場でなければならないはずなのだった。

2003年12月15日号掲載

 

 

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