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 要の記憶の最古層は、今彼が見ている世界とはずいぶん様相を異にしていた。光と闇の絶え間ないせめぎ合い、灼熱と冷気の渦、そして吹きすさぶ風。ひとりぼっちだった彼を救い出してくれた、ひとりの若い美貌の女。

   赤ん坊の彼が家系に受け継がれる力を持って生まれたことに気づいたのは、シャーマンとしての強い能力をもつ祖母だった。要と名づけられた赤ん坊は、生まれて半年過ぎても首が座らず、何かを目で追うということもなく、ただ一日中泣き声をあげつづけるばかりだったが、とりたてて医学的な異常があるわけではなかった。専門家も原因を特定することができず、赤ん坊が二歳になったとき、思いあまった両親は祖母の緑を訪ねた。緑はその力のゆえか三十歳ほどにしか見えず、人の口をおそれ、近畿地方の山里に世捨て人のように暮らしていた。彼女は来客の予兆を得、粗末な庵の戸口に立っていて、息子の顔を見るなり、「要のことだね」と頷きかけた。
 口伝では、家系に伝わる霊的な能力を持って生まれてくるのは女児だけだった。百年を単位とするほどまれに男児の能力者が生まれることがある。その者は一生立つことも話すこともない。人としての生涯を送ることはないという。その口伝が何を意味するのかは緑にはわからなかったが、この世ならぬ闇の世界が狂おしいほど赤ん坊の力を渇望している気配は感じることができた。

 

 

 孫を守るため、孫の力を封印し闇の世界の手を退け、緑は持てる力のすべてを使い果たした。今も要の額にうっすらと残る星型の傷跡は、封印された力の証である。
 要の世界に愛と温もりが流れ込んできたのはそのときからだった。彼は人の世界を取り戻した。五歳になるころには、まったく普通の子供とは変わらぬ成長を見せていた。何を意味するかもわからない巨大な力は封印され、霊的な気配を見聞きし、感じる力のみがわずかに残った。その力とともに生きていく方法を教えてくれたのは、見るかげもなく病み衰えた緑だ。
 驚くほどの若さと美貌は、力を使い果たしたと同時に失われ、そのころには年齢よりはるかに老け込んでいた。 <清いもの> と <汚れたもの> の見分け方、 <強い力> にとらわれそうになったときの逃れ方、そして何よりも、見たもの聞いたものをおのれの胸の中一つにおさめておくこと。教えられることはすべて教え、要がこの力とともに生きていけると確信したとき、緑は世を去った。要が八歳のときである。しかし、要の記憶の中の緑は、亡くなる直前の老婆ではなく、人としての世界にすくい上げてくれたときの、光背に囲まれて輝く美しい姿だった。
 だから自分は祖母に教えてもらったことを守りそのとおりに生きてきた――要は生まれて初めて祖母の戒めを破り、以上のいきさつをすずねに話した。

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