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「とにかく、これをほどいてしまわなきゃ」
 すずねは、部屋の中の変化にも気づかず、雑貨の入った段ボールからハサミを取り出すと、セーターを袖と身頃に分けはじめた。
「カナ君。ぼんやりしてないで、手伝ってよ。ほら。手をこうやって」
 肩幅に広げた手に、ほどいた白い毛糸を巻き取っていく。細かな縮れを整えながら、要もだんだんコツがわかってきた。全部ほどき終わると、四束できた。次はそれを手鞠をつくるように玉にするのだという。

   小学生のころそんなことを手伝わされたような記憶がある。母親は物を大切にする人で、前に編んだ自分のセーターやら、赤ん坊のころの姉の出雲や要のボレロやらをほどいて、新しく急に背の伸びた要のセーターを編み直したりしていたものだ。そんなことを思い出しているうちに、大きな毛糸玉ができあがった。
「ふうっ、終わった」
 すずねは大事そうに玉をかかげ持った。ところどころ黄ばんで、あわあわとけばだったその玉は、深い後悔に覆われていてもどこか真摯で甘い想いで紡がれた繭なのだ。
「──わたさなきゃ」
 要は、自分の唇が、考えるよりも先に言葉を紡ぎだしていることに気がついた。
「そうね。だから今度……清里に行きましょう」
 すずねの声も、なんだか熱にうかされているようだ。
 八ケ岳南麓、清里高原。
 アイスクリームと、ハーブと、ジャムと、京風らーめんの高原。
 ――そう、そこに、わたしの恋の。わたしの、
「思い出の」また口が勝手に喋る。
「……? そして、ウンカイの浜辺でわたしましょ」
 ウンカイって何だ? ああ。そうだ、そうだ。
「あのとき二人で見た朝日に輝く雲の海の」
「……カナ君?」
「ん?」
「……うれしい」

 

 

 すずねは、毛糸玉を雛のように抱きしめて、まん丸い目からぽろぽろと涙をこぼしていた。
「なんでだろ。うれしいの。カナ君にはわかるのね、あの女の子の気持ちが。私にはわからなかった。どうすればいいのかわかっても、それがなぜなのか、私にはわからなかった。でもカナ君にはわかる。私がいったい何のために、こんなことをしているのか」
「……ああ。そうみたいだ」
 ごく自然に、要はすずねの肩を抱き寄せる。
 気がつけば、部屋にたちこめていたあの水色の気配は、掃除機に吸い取られたように消えてなくなっていた。
 要は、胸の中に浮かんだイメージを、自分の言葉で口にしてみた。
「短い恋。けっして憎むでもなく、恨むでもなく、ただ思い入れがあまりにも食い違っていたがために、不幸だった恋。あのセーターに、あまりに深い想いが込められていたから、自分への後悔が残ってしまった……」
「彼女は、どうしたの?」と、すずね。
「さあ、わからない。でも、病気か事故か、いまはこの世にはいない」
「相手の人って、大家の息子――よね」
「たぶん」
 すずねは、要の手をさっと肩からはずし、それから、あらためて首にかじりついたかと思うと、耳元でいたずらっぽくささやいた。
「ね。今度、その男、見てみようよ」

 

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