料亭『繊月』の次男の嫁としての生活は、挑戦という意味では、就職した友達以上の細心の気配りと努力が必要だった。自分でつくりあげたおのれの像にしたがって、ずっと前から自分が考えていた道を歩き始めたのだという気負いもあった。
しょせん地方の実業家のレベルなので、そこまで気負う必要もなかったのだが、それでも地方政治絡みのパーティや旧家を中心とした何とか会の集まりだの茶会だの、この古い町にはささやかながら社交界を模したような小さな社会があるということを、婚約披露から結婚式にいたるまでにわたしは知った。
そしてあの人の一族がいずれの場でも中心的な役割を果たしていることも、うすうすは想像していたものの、実際にその社会に足を踏み入れて初めて実感した。あの人と親友同士であるということがいかに有利に働くかも知った。不思議とその恩恵を悔しく感じることはなかった。ただもっとあの人がそれらしく装って、もっと貴族的にふるまってくれればいいのに、とは思った。
でもあの人の表面的なひとのよさげな鈍さの裏には、何か生まれ育ちからくる自信のようなものがあって、そのバランスが十年一日の地方社会のつきあいの中ではちょうどよいのかもしれず、例えばこのようなことがあった。
若手に任せるわといわれてはりきって幹事を引き受けたあるチャリティの茶会で、わたしは、家業でつきあいのある市内の何軒かの和菓子屋の二代目連中の創作菓子の競演という企画を立てて内心自信満々だったのだが、奥様たちには賛否両論で、もちろんそれを高雅な遊びととらえてくれた人には評判がよかったが、後日、『繊月』の次男坊の嫁は目立ちたがり屋だの、和菓子屋の若主人たちに色目を使っただの下世話な噂をする人がいた。狭い社会の中で、それは尾ひれをついておもしろおかしく広まっていった。
いっしょに幹事の仕事を引き受けてくれていたあの人は、それを耳にすると、もちろん憤慨してくれたのだが、しばらくしてあの人がその件で非常に怒っているという噂がかけめぐった。その威力は驚くべきもので、茶会以来、腹に一物ありげな態度でわたしを遠巻きにしていたグループの人たちが、へつらうような態度で接近を図ってきた。
それは仲間うちの手打ちのルールのようなもので、水に流しておつきあいいたしましょう、というわけだが、わたしは驚くほどの素直さで、あの人をうらやましいと真剣に思った。
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