田添さん、というより私にとってはいまでもエリーなのですけれども、百合子を見ているとつい彼女を思い浮かべてしまいます。エリーは、いつも自分が何をなすべきかということを考えているような少女でした。中学三年のときのことです。自分はここの高校に進まないかもしれないと打ち明けてくれました。がんばろうという気持ちが日に日に失せていくのだというのです。そして楽をしたい、いまのまま変わりたくないという気分に傾いていきそうで怖いのだ、あなたと離れるのはとても寂しいけれども、もっと向上心を持てる高校に進みたいのだと言いました。私にはそんなエリーに反論することはとてもできませんでした。
だからあんなに仲がよかったのに高校からは離ればなれになってしまいました。そのかわり時間ができると私の家に訪ねてきてくれるようになったので、私は高校時代、学校では寂しい思いをしたものの、二人で過ごす時間をとても大事に思うようになりました。将来は英語力を生かす仕事をしてみたいとか、大学に行っても遊ぶつもりはないとか、そんなことを言いながら、高校でも優等生で通したようですが、意外なことに進学した大学は、いわゆるお嬢様学校のようなところでした。もちろん私など入れないような偏差値の高い学校でしたが。
大学に通いながら、お茶にお花にお料理にお作法と花嫁修業のスクールにも入ったと聞いて、ますます私はびっくりしました。私がエリーに持っていたイメージとはそぐわなかったからです。私のイメージでは彼女はキャリアウーマン指向で、実力本位の外資系企業や官公庁でばりばり働くという姿を思い浮かべていました。もちろん本業の学問のほうはそつなくこなしていたらしいのですが、この違和感はエリーがたびたびお見合いで帰省するようになってますます強まりました。
それでも、そのたびに会っておしゃべりしていると、前ほど遠い存在ではなくなったような気がして、変な言い方かもしれませんが、なんだかほっとしたのも事実です。私は、エリーが東京の大学に行ってしまって私とは違う世界の人になってしまったような気がしていました。美人だしおしゃれだし、なんとなく東京で華やかな学生生活を送るような感じがして、あれだけ頭のいい人だからきっとどんな職業についても成功をおさめるに違いない、卒業したらもうこの町には戻ってこないかもしれない、もしかすると外国に行ってしまうかもしれないと、あれこれ私は想像していました。
だから親元から地元の女子大に通う私と同じように花嫁修業に精出すエリーというのが意外な反面、とても身近に感じられて、そのころのおしゃべりは本当に楽しくて、エリーと知り合ってから初めて劣等感をまったく持たないでいられました。もちろんそれは私の独りよがりもあって、同じお稽古事でも才能はきっと段違いなのだろうなと思っていました。ただ、私は子供のころからお菓子づくりが趣味で、それだけは一月に一回東京まで習いに行ってましたから、もしかしたらその方面では私のほうが一歩リードしているかななんて心の中で思ったりしました。
そういえばエリーも、ちらっと一緒に習いたいと言っていたことがありました。私が習いに行っていた先生は元華族の家柄の方で、生徒さんもそういう方方が多かったようです。もともとめったにお弟子さんはとらない方だったのですが、何とかならないでしょうかと申し上げましたところ、いまはこれ以上の人数は無理だということで、そればかりはどうしようもありませんでした。そのときは本当にエリーはがっかりしていました。私は、エリーにうらやましがられているという優越感をそのときばかりは味わいましたが、すぐ自分はなんて意地悪なんだろうという嫌悪感におそわれました。
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