私はずっとエリーがうらやましくてなりませんでした。でも妬ましく感じなかったのは彼女が大好きだったからでもありますが、一つには、私の母のせいかもしれません。母は、絵里さんを見習いなさい、絵里さんに教えていただきなさいと口癖のように言っていましたが、内心どうも穏やかではなかったようです。自分の娘が何をやっても友達に劣っている事実に耐えられなかったのでしょう。ときにはお小言が嵩じてややヒステリックになることもあり、心のバランスをとり戻すためか、とはいえ何でもできるからといって幸せになれるわけではないとか家柄も才能なのだとか、そういうこと露骨な口調で言うこともありました。
そんな母が私は嫌いでした。母がそういうことを言い始めたときに、エリーに勝とうとかエリーと張り合おうなどという気持ちを絶対に持つものかと決めたのです。母は、口先では普通でいいの人並みでいいのと言う一方で矜持は尋常ではなく、それを脅かされることに弱いのです。だからあの学校でも本当は学園のお姫様のような存在でいてほしかったようです。一族の女性はほとんどあの学校の出身です。いまの理事長も何代か前の分家の方です。
私がエリーのような生徒だったら、きっと母の望む通りの存在になれたかもしれません。昔は、使用人にかばんとお弁当のお重を持たせて登校するとか、制服が服地によって何段階かに分かれていたとか聞いていますから、おのずと家柄や財産などで学校生活に差が出る面もあったかもしれません。私自身は特別扱いされていると感じたことはありませんし、実際、当時はもうそういうことはありませんでした。
また、エリーに対抗心は燃やさなかったものの、別の面で優越感を味わうことはありました。あちらのおたくの噂、こちらのおうちのスキャンダル、だれそれの評判、私は、母やその取り巻きのおしゃべりから仕入れた、くだらないといえばくだらない情報が、私に一種独特な権力を味合わせてくれました。最初はその断片がどうつながってくるのか、それをどう利用できるのか思いもつきませんでした。
私はお察しのとおりどちらかというと鈍感な少女だと思われてましたし、そう思われるのを楽しむようなひねくれたところも多少あると自分でも思っています。私の前では、人はともするとあまりにも無防備に秘密をもらしたりします。どうせこんなこと言っても無駄だろうけれども、あなたにはわからないだろうけれども、あなたはこんなことで悩んだことないだろうけれども、と、そうやってもらされる秘密の断片が私の頭の中で複雑なパズルのように組み合わされます。あの人たちにとって私は動物園のラクダにでも見えたのでしょうか、それとも畜舎につながれた牛にでも見えたのでしょうか。そこまで卑下することもないかもしれませんけれども、どうせそう思っているんでしょうと口に出さずに問い返す瞬間、間違いなく私は喜びを感じていました。
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