情報を持っていること、秘密を握っていることが権力であるということを、私はやがて学びました。それはあからさまにまき散らすものではなく、極端な話、たとえば核兵器のように抑止力として存在すること自体が力なのだということです。
例えば、目の前でその秘密をほのめかすだけで、嫌がらせや険悪な対立の場を収めたこともあります。複雑な家庭の秘密の事情を匂わすだけで、思春期の感じやすい少女は恥じ入り、獲物に向けてとがらせた爪をおさめる分別を見せました。また人の好意を得る手段に使ってしまったこともあるかもしれません。
考えてみると、私が柄にもなくそんな策略家のようなことをしたのは、いずれもエリーを守るためだったことに気づきました。のんびりとした家庭的な小さな学校で何年も一緒過ごしていても、やはりどうしてもお互いに相いれない間柄というのがあります。エリーの成績や容姿や性格の華やぎを無邪気に賞賛する気になれない人がいても不思議はありません。いじめという言葉もまだありませんでしたが、中学時代、ことさらになんでもないことで挑発的な態度をとる同級生がいました。
授業中、教師が黒板を向いているすきに、エリーの前を紙飛行機が横切って飛んでいきます。はらりとそれが落ちた机の持ち主がそれを拾って開きます。声を立てずに隣の子をつついてそれを見せています。くすっと小さな笑い声が起きます。再び紙飛行機が教室を横切っていきます。今度はエリーの机のわきに落ちます。エリーはそれを拾い上げやはり折り目を開きます。さっと目を通して几帳面に折ってどんどん小さく小さく畳んでしまいます。エリーは制服のスカートのポケットにそれを突っ込んで、何事もなかったように黒板を見つめます。
私はその一部始終を見ていました。休み時間にその話をすると、エリーは、単に私の悪口が書いてあっただけよと不愉快そうに言いました。どんな悪口かとても聞けそうな雰囲気ではありませんでしたが、一瞬間をおいて、単純で幼稚でうんざりするような悪口よと吐き捨てるようにエリーは言いました、だれかに聞かせるかのように。
そのいやがらせの中心人物について、私はあることを知っていました。昼休み、連れ立ってトイレに行く――なぜか少女たちは必ず誘い合ってトイレに行って、自然の欲求とは関わりなく髪の毛をとかしたり、秘密めかしたおしゃべりをするのです――途中でその少女をつかまえ、一言ある人物の名をささやきました。
「1年白樺組遠藤ましろさん……」
きっとそのとき私はいつものように人のよさそうな鈍い笑顔だったに違いありません。それが自分の自然の顔なのかそれともわざわざつくっているのか、そのころにはすでに自分でもわからなくなっていました。部屋で一人で鏡を覗き込むときだけ、私は陰鬱な策謀家の冷笑を浮かべることができました。
一瞬、彼女が何か叫びだすのではないかと思いました。私につかみかかってくるのではないかとも思いました。が、それは錯覚で、くるりと身をひるがえすと、うつむきながらかけ出していってしまいました。
遠藤ましろは、同級生たちは当然だれも知りませんでしたが、不倫の関係から生まれた彼女の異母妹でした。当然こんな学校に来るべきではないと彼女の母親も彼女自身も考えていたはずです。しかし無分別なまでの父親の愛情と気の強い愛人の要求で、いま、先輩後輩として同窓で学ぶはめになっていたのです。それを知られることが彼女に与える衝撃を私は十分予想できました。
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