私のおりおりの意味ありげな視線が、彼女のエリーへのいやがらせの歯止めになったといっては自負しすぎでしょうか。
また、いま考えるとはなはだ心苦しいことですが、――それが本心なのかどうか、いえ、きっと違います。ちっとも後悔などしていないと思います――一人の生徒が、私のせいで退学になってしまったこともありました。
例によって、エリーがあるとき、あの人はなぜあんなことを言うのだろうと沈み込んでいたからなのですが、私が知ったところでは、エリーに意地悪を言った少女は、それこそ一族中の恥さらしと陰で言われてもしようがないことをしでかしていました。遠縁の我が家にそれが伝わってきたとき、母親も祖母も私には絶対にそのことを知られないように気を使っていたはずです。しかし盗み聞きに、当時家にいたお手伝いさんを使ってのスパイ行為によって私が知ったことは、彼女が年の同じ従兄弟と性的な関係を持ち妊娠し、堕胎した挙げ句の果てに処女膜再生手術を受けたということでした。
私の匿名の手紙がこれほどの事態――退学などという事態は世間知らずの私たちにとっては衝撃的なことでしたから――を引き起こしたことに、私は欲しかったおもちゃを買い与えられた子供のように興奮しました。エリーへの意地悪をやめさせるという目的よりも、そちらのほうに完全に気が移ってしまっていました。その感覚は性的なことがらが思春期の女の子に呼び起こす疼きや予兆よりも激しいものでした。
いやでいやでたまりませんが、もしかすると私は我が家の女系の悪い血を濃く受け継いでいるのでしょう。けっして直接確かめたわけではありませんが、母親も祖母も、似たような悪癖の持ち主なのではないでしょうか。それはもう政治の範疇に入ってしまうのかもしれません、有力者の性的嗜好に、地元企業と官の癒着、地方政治の人事に隠された醜態、最新の社交関係の変化、これだけ集まってきた情報を、彼女らがどう生かしてきたのか、使ってきたのか、知りたくもありませんが、やがては私もその仲間入りをせざるを得ないことがおいおいわかってきました。そしてたとえ多少鈍くてつまらぬ女だと人に思われようが、私は弱みを持つべきではないし、そのことを守るためにはどんなことをしてもよいのだという恐ろしい自我も芽生えてしまいました。
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