『母の三周忌が過ぎました。きょう田添のおば様がうちに寄ってくださいました。私がちょうど帰省していたことを大変喜んでいました。母のお葬式以来です。少し私が痩せてしまったと心配していらっしゃったようです』
うっとうしい、あの人。いつからか私はそう感じていた。母の親友、桃子のママ、憧れのやり手の女シャチョウ、そしていつまでも若々しく美しいパパの愛人。
二人がそういう関係になったのは、母が亡くなる直前だったと思う。ガンの末期、もう長くはないということがはっきりしたころだった。母は、発病、手術のあと一度は普通の生活に戻り、再発を繰り返し、東京の病院に入院し、それから、どうしても帰るのだと父の病院に戻ってきた。母が帰ってくると、あの人は母が望むままに献身的に付き添っていた。仕事も家庭もほとんど放り出した状態だったと思う。
私はといえば大学受験を直前に控え、あの人ほど母に尽くすことはできなかった。合格することが親孝行なのだと母も周りもそう言って私を母から遠ざけていたところもあったかもしれない。私もそれに何の疑問をも持たず、毎日のお見舞いが一日おきになり二日おきになった。それでも帰宅した父が様子を伝えてくれていたし、ほんとうに母が死んでしまうかもしれないなんてことは考えてもみなかった。
かえって桃子のほうが健気だった。母親が看病で留守がちなので家の中のことはほとんど自分でやっていた。あの『繊月』の娘だけあって料理は昔から上手だったし、家政婦さんのいる生活を送ってきたわりに、自分のことは自分で何でもできるようにあの人にきちんとしつけられていたので、よほど私よりしっかりしていた。
私はといえば、母のいない生活が一年近く続き、受験の追い込みの季節に入る寸前まで、すっかり自堕落な生活に染まっていた。受験勉強まで放棄したわけではなかったが、学校をさぼり一日机とベッドで過ごしたり、あてもなく電車で県外まで出かけたりしていた。
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