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    text/税所たしぎ

 

 

 

 

 祖母は相変わらず口うるさかったし、父親は忙しい中で何かと私との時間を大切にしてくれていたし、好き勝手をするような環境ではなかったのだが、わたしはあれこれ言い繕って嘘をついては、ふらふらとさまよい無気力に過ごす時間をつくり出していた。 父の出た私大医学部が第一希望だった。小学受験か中学受験をしてそこを狙ってもよかったのだが、母は私を手元に置きたがりそれは実現しなかった。結局私は母やあの人の通った地元の女子校で高校まで過ごした。父は不満だったらしいが、珍しく母が我を通した。私も中学受験の話が出るころには有利不利の判断はできたのだが、学校なんてどこだってかまいやしないと思った。父が学力低下を心配して小学校高学年から週四日の家庭教師をつけ、勉強は家でするものと思っていた私にとって、知った顔ばかりでぬるま湯のように居心地のいい学校は息抜きに通うところだった。
 医学部受験を考え始めたころ、それは高校に進学したときだったと思うが、通算三人目の家庭教師がつけられた。東大卒のひねた遊び人で医学を志したものの文学に転じた変わり者、いまでこそはやりのチェーン塾で有能塾長みたいな顔をしているが、当時の彼は私にとって勉強の師であるだけでなく、一風変わった社会勉強の師でもあった。そしてやがて家人の目を盗んで、私の最初の男となった。
 私の内面のささやかな乱れに一番最初に反応したのは、あの人だった。忙しい生活を送っていたから会うことはあまりなくなっていたけれども、桃子のところに遊びに行ったときに珍しく在宅中だったあの人は、私に、なんともつまらなそうな顔をしていると言った。この間やはり医学部に進学すると決心したのだと教えてくれたときに比べたら雲泥の差だと言った。そして何がいったい退屈なのかと問うた。
 モダンで明るいファミリーリビングの灰色の革の巨大なソファの背に体をあずけ、ぐっと背伸びをしながら、優雅な中間色のスポーツウエアに身を包んだあの人は美しい大人で、映画か小説の主人公のようで、体中どこをとってもぎこちなさを感じていた高校生の未熟な私は、とてもかなわない気分にさせられた。
 あなただっていまは退屈そうだわと、答えてみたかった。でもどきまぎしてしまって、まともに返事することができなかった。ごにょごにょと口ごもるように数学が急に難しくなっただの、バレエをやめようかと思ってるとか、自分でもわけのわからないことを言ってしまった。あの人はちっとも信じていないようだった。
 家庭教師と肉体関係を結び、少し頽廃的なだらけた気分になってしまって、医学部受験もちっとも努力すべき目標だとは思えなくなっているのだと言ってしまったらあの人はいったいどんな顔をしただろう。