だいぶ前から、友達に距離を置いている自分がいて、いつでも華やいでかしましいざわめきの中心にいた自分というのがずっと昔の思い出や夢の中の出来事のような気がしていて、人が私を変わったと思い敬遠してもしょうがないと思っていて、たしかに自分はほかの人と違ってしまったのだと思いたがっていて、思い返すとそのような自分がやはり恥ずかしいのだけれども、ひーさんと呼ばれていることを知ってから、ますます一人でいることが多くなった。放課後もだれよりも先に帰宅して家庭教師を待った。
日によっては城跡の公園で長い時間を過ごした。そこで彼と待ち合わせていつまでも抱き合っていたこともあった。そんなことが何回かあって、あるとき私たちは、父とあの人が歩いているところに出くわした。城門から本丸への長い坂道、私たちは櫓跡に建っている傾いた四阿のベンチにちょこんと並んで座ってそれを見下ろしていた。
二人が腕を組んで歩いていたわけでもない、不自然なほど馴れ馴れしくしていたわけでもない、前後になりながらただ歩いていただけだ。それでも私は直感的に二人の関係を知った。そこで時折交わされた会話は母のことだったかもしれない。悪化の一途をたどる母の容体は二人に共通した目下の心配事であっただろうから。
細かい砂利の坂道を上っていったあの人と父は、そのまま石垣の角を曲がっていってしまった。家庭教師の彼はにんまりと微笑む私をいぶかしげに見つめ、そして私の髪をそっとかき上げた。
その日を境に、私は毎日のように母の病室を訪れるようになった。一日わずか一時間足らずではあったけれども、夫に裏切られ生にも裏切られつつある母が哀れになったからだ。当然父ともあの人とも病室で毎日のように顔を合わせ、受験勉強をがんばるようにと励まされ、素直な笑顔ではいと答える。そして入れ替わりのようにやってきた桃子と少しおしゃべりしてから帰る。
母は、もともと口数の少ない人だったが、会話するだけでも疲れるようで、ベッドを起こして私や他の人々の話を聞いて微笑むだけで、すっかり病気と戦う気力もなくしてしまったようだった。
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