turn back to home「週刊電藝」読者登録

    text/税所たしぎ

 

 

 

 

 

□  □  □

 

 学習機械のように記憶と記録に忙殺されるようなあわただしい大学生活の中で、故郷でのできごとは、続き物の本を閉じるように、私の中で整理されていった。家庭教師の彼とは、そんな日が来ようとは想像もしていなかったが、心も身体も距離を置くだけでその分遠くなっていった。葬儀、納骨、法事のおりおりのとりわけ形式ばった私の家の大仰な儀式のおかげで、母の死の悲しみもやがて薄れ、かつて血肉を持った存在だったことより、位牌や墓石に刻まれた戒名、そしてアルバムやビデオの中の思い出のほうが現実味を持って感じられるようになっていった。
 三周忌は、父の希望で内輪でひっそりと行われ、一族以外ではわずかな病院関係者とあの人が出席した。
 母の亡くなった日にあの人に抱きしめられた感触は、快不快をこえて何度もよみがえった。それはいつも突然で、淡い香水の匂い、ひんやりとした手、はりつめた筋肉、息づかい、力がぬけていくような、振り払いたいほどの安心感。
 父との関係がどのようなものなのか、私にはよくわからない。そっとよりそい、ひそかに抱き合い、少し離れて一緒に歩く。あいかわらず私に推測できるのは、それぐらいのことで、桃子の父親とあの人の夫婦関係がおかしいとか、父とあの人があやしいという噂が立つということもなく、父は父で、ずっと前から変わらず慇懃にあの人と接していた。
 心の奥で、私は、母が死んだとたん、あの人は離婚して父と結婚するのではないかと思っていた。このまちの小さな社会を揺るがすスキャンダルになろうが、何年も続く噂になろうが、あの人はそこまで突っ走るのではないかと、なんの根拠もなくそう思っていた。
 もしかして、私はそう願っていたのかもしれない。父の愛人だからといって憎しみもなく、母の親友、幼なじみの母親というあいまいな存在でいるより、いっそのこと父との関係が公になればいいと思っていたのかもしれない。
 桃子の家庭のこと、あの人のいままで築き上げてきたもののことなど考えにも入れていなかった。よく考えれば、そんなことが起こるわけがないのだ。
 だから、私は心の中であの人といつまでも呼び続ける。