昔からの白旗の客は、スクールでつくった笑顔をふりまく白旗を海で見かけては商売っ気が盛んなこったと悪口を言ったりもするが、白旗に教わったスクールの生徒は、確実にサーフボードの上に立てる喜びを体験し、新しい風景に感動し、何回かのスクールを通じて危険や恐怖の先にある大きな楽しみを予感し、かなりの確率でサーフィンにのめり込んでいく。理屈をこねまわすのではなく、わかりやすい表現や日常の動作でサーフィンの動きを教えていく白旗の教え方が功を奏しているのだろう。スクールでサーフィンの楽しみを覚えた彼らはリピーターとなり、白旗の店で板やウエットスーツを買い、常連となっていく。そんな中からアスリート気質を持った一部の人間は、波と遊ぶ楽しみだけではなく、競技スポーツとしてのサーフィンにも目覚めていく。
ハヤトと一緒にスクールのインストラクターを手伝ってくれている陽子もその一人だ。十五歳の春に突然波乗りにとりつかれ、六年目の現在、ショップ主催の大会のレディース部門では四年続けて優勝しているが、支部予選では三回決勝寸前で破れている。前回は雪辱を果たし東日本に出たが、ファイナルははるか遠かった。本人は戦略ミスだと言い張っているが、まだ全国の敷居は高く、うまくなりたい、うまくなりたい、二十四時間波乗りのことを考えていたいとしょっちゅう言っている。
去年から友達と千葉にアパートを借りていて、湘南と千葉を行ったり来たりしながら、食っていくためには仕方ない海外にも行きたいし、と、このところこちらで深夜ウエイトレスとして働いている。恥ずかしそうに、親から少し援助してもらっているとも言っていた。そろそろ陽子とハヤトが海から戻ってくるはずだ。
今日のスクールは、モモコシサイズの手頃な波で行われている。ふだんフラッグのスクールが行われる浜は、この冬はめずらしく砂がついたままで遠浅の地形を保ち、長くきれいに崩れていくので初心者が海に慣れるには最適だ。
春から夏にかけてがやはり生徒が多いが、冬でも波乗りを始めたいという人間はいる。今朝は、近所の幼稚園のママ仲間三人が生徒だ。一人は、夫が昔サーファーだったという。結婚前は、さんざん浜で待たされたりデートをすっぽかされたりしたから、その分こんどはわたしが楽しむのだとはりきっていた。
「ただいま帰りました」
ハヤトの声がする。女たちの華やいだ笑い声がだんだん近づいてくる。
「おかえり。お疲れさん」
白旗が表に出ると、スクール用のソフトボードを抱えた三人のお母さんたちが楽しそうにおしゃべりしながら帰ってきた。レンタルしたウエットスーツが少しだぶついているのと、顔や手足の真っ白なのが、あまりサーファーっぽくない。
外の水シャワーで足元の砂を落としながら女たちは、
「ああ、寒い」
「うう……さぶ」
「凍っちゃう」
と、足踏みしている。
「裏口から入ると温水シャワーがあるからね」
白旗はそう声をかける。女たちの化粧気のない顔と濡れた乱れ髪の取り合わせの無防備さに、彼はつねづねなんともいえない魅力があると感じている。
「はあい」
「早く早く」
「もうダメ、冷えちゃう」
さすがに三人いるとかしましい。
ハヤトの話では、陽子はそのまま海に残って自分の波乗りを楽しむことにしたらしい。
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2005年8月15日号掲載
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