銀幕ナビゲーション-喜多匡希

ワン・ミス・コール

【恐怖の着信、海を渡る!】 あとで読む

ワン・ミス・コール
© 2007 EQUITY PICTURES MEDIENFONDS GMBH & CO KG IV ALL RIGHTS RESERVED

『リング』で幕を開けたJホラー。その作品群を順に見つめていくと、そこからは時代に伴う文化の流れが見えてくる。

 中田秀夫監督の『リング』では、最早過去のメディアと言えるビデオテープが恐怖を媒介していたが、三池崇史監督の『着信アリ』では携帯電話と、時代に合わせて恐怖を運ぶ小道具の移り変わりが見られる。それらの原型・発端が、鈴木光司が表した小説『リング』にあることは明らかだが、ブームの変遷を、ただ単にこの亜流・使い回しと断ずるのは些か乱暴過ぎるように思う。そこには、作り手たちによる工夫の痕が見られるのだ。「ビデオテープが携帯電話に変っただけじゃないか……」と思われるかもしれないが、この変更には大きな違いがあるのだ。そのことに是非気付いていただきたい。

ワン・ミス・コール
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ワン・ミス・コール

『リング』では、 <呪いのビデオテープ> と <顔が歪んだ写真> が恐怖のツールとして登場していたが、それらは視覚を通して恐怖を喚起するものだった。対して『着信アリ』では、 <呪いの着信音> と、その通話から聞こえてくる <自身の断末魔> から惨劇開始の合図であり、それらは聴覚を通して恐怖を喚起している。この、まず視覚に訴えるか、まず聴覚に訴えるかの違いは大きい。ここに、亜流という言葉で片付けられない面白さがあるのだ。そして、その面白さを繋ぐのは、ビデオテープや携帯電話が身近な存在であるという、我々観客の皮膚に根ざした感覚である。

ワン・ミス・コール
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 その皮膚感覚は、日本だけでなく、欧米でも通用するもの。かくして、『リング』に続いて、『着信アリ』もハリウッド大作としてリメイクされたわけだが、これは大変自然な流れと言えるのだ。

 とは言え、『ワン・ミス・コール』は『着信アリ』をそのまま焼き直した作品ではない。大筋は同じながら、そこには日本とアメリカの文化的違いが反映されていて、その違いを見比べてみるのもまた面白い。特に、その怪異を巡るTV番組の描き方にその違いは顕著で、仏教的(あるいは無宗教的)な『着信アリ』と比べ、『ワン・ミス・コール』では、やはりキリスト教の世界観が色濃く反映されている。

ワン・ミス・コール
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ワン・ミス・コール

 恐怖描写も、さすがはハリウッド。派手な特殊効果をバシバシ炸裂させて畳み掛けるクライマックスは見応えがある。

 この恐怖を生み出しているのが人間の情から生まれた怨念であることも重要。そこに見られる人間という存在の悲哀こそ、Jホラーが国境を越えて歓迎される由縁だ。

 日本の夏と言えば怪談だ。映画館の暗闇に納涼を求めて足を運び、骨の髄から震え上がるのもまた一興と言える。海を渡った恐怖の逆輸入。とくと味わっていただきたい。

ワン・ミス・コール http://www.one-missed-call.jp/

原題『ONE MISSED CALL』
2008年 アメリカ 88分 配給:角川映画

監督:エリック・ヴァレット
出演:エドワード・バーンズ、シャニン・ソサモン、アズーラ・スカイ、デーブ・スペクター、ほか

【上映スケジュール】
7/19(土)〜
東京:角川シネマ新宿、シネカノン有楽町2丁目ほか
大阪:梅田ブルク7、なんばパークスシネマ、MOVIX堺ほか
京都:MOVIX京都
兵庫:三宮シネフェニックス
そのほか、全国一斉ロードショー

2008年7月14日号掲載 このエントリーをはてなブックマーク
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