人は生きている限り食べ続ける。人間の三大本能の一つに入っているだけあって、食べることはまた、快楽の一つとなっている。社会人になっていく周りの知人に会うと、彼らはたいてい「食べることが唯一の楽しみだ」とはっきりと言う。本作の主人公、井之頭五郎も仕事の合間に食事に外へ出る。あるときは下町の定食屋だったり、工場群近くの焼き肉店だったり。そして彼が満足しきって終わることは、なぜか驚くほどに少ない。
「いかんなァ……
なんでこうなる
俺が食べたかったのは
むしろ焼きそばのほうなんだけどな」
(p.51 第5話『群馬県高崎市の焼きまんじゅう』)
どうも食事の段取りを外してしまうのだ。それでも、仕方なしに食べてみたものが意外においしいと、彼の目が輝く。表情がパッと変わる。彼は、夜食にコンビニの商品を堪能することもある(第15話『東京都内某所の深夜のコンビニ・フーズ』)が、こちらも面白い。「うまい」「うまくない」と独り言を言いながら、ふと「俺…いったいなにやってんだろ」と我に帰る。
料理マンガと言えば、少年誌を筆頭に、最上の美味を追求するものがほぼすべてである。料理がキラキラと輝いたり、おびただしいほどの汁があふれ出るなんてことは、マンガの中では日常茶飯事である。だから料理マンガに出会うと、“もちろんうまいのが当たり前だろ”とこちらも決めてかかっている。その調子で本作も読み始めたものだから、“なんだこれは”ということになる。主人公はよくしょっぱい顔をしているし、そんなテンションで食べている彼を見ると、うまそうな食事もなんだかうまそうに見えない。
でも、実際“食べる”ってこういうことなんだろう。美味しいものを選び損ねたり、意外な所でおいしさを発見したり。繰り返し読んでいると、本作の世界観がどれほど地に足着いたものかが分かる。ただその日その日にものを食べる。そこには妄想もなければ、エキセントリックなことも起こらない。淡々とした食事。そんな作品のページを何気なく繰っていると、“あ、焼きそば食べたい”と、ある時ごく自然に頭に浮かんでくるのだ。知人は本作を読んで、コンビーフを買いにコンビニまで行っていた。
ちなみに、新装版では原作者の久住昌之氏と作画者の谷口ジロー氏、そして小説家の川上弘美氏の鼎談が収録されているが、ぼくはこちらに最も目を引かれた。物を作る人々が注ぐ作品への視線には愛情と熱意がこもっている。細部の表現までしっかりと見ている。自分がいかに上っ面で読み飛ばしているか思い知らされ、恥ずかしくなった。外側から物言うことの申し訳なさ、という感じだろうか。
あえて一言で言えば、食事を愉しむ、ということを思い出させてくれる作品である。そしてこれこそが、本作を「ハードボイルド」と呼ばせる所以なのだろう。
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