女性向けのマンガというと、いや男性誌や少年誌でも恋愛ものといえば若い子同士が云々…というのが関の山ではなかろうか。たしかに青春の甘酸っぱい思いというのはどの世代でも好んで読まれるものなのだろう。しかしそういう類ばかりを読んでいると、内臓のどこかしらがむず痒くなってくる。これ以上はいただけません……食傷気味というやつだ。とはいっても色恋沙汰は話のスパイスでもあり、これ抜きには面白みに欠けるということも多い。この痛し痒しの状況に風穴を開けてくれるマンガを最近見つけた。西炯子の『娚の一生』だ。
大手電機会社の課長を務めていた堂薗つぐみが、祖母の死を転機に祖母宅に住まうようになる。恋の痛手もあって一人田舎に引っ込もうと考えていたのだが、なぜか離れには壮年の男性が居ついていた。海江田醇と名乗るこの男は、祖母からこの家の鍵を渡されたのだという。彼の飄々とした態度に戸惑いながらも、つぐみはこの男と奇妙な生活を始めていく。
西炯子氏の作品といえば『お手手つないで』を読んだことがある。こちらは高校生のほろにがラブコメディー。全体的に情感にあふれ、それをあえて台詞に乗せないのが特徴的だった。表情や情景から――つまり行間を読む、ということなのだろうが、大きな事件もなしにマイペースで進んでいく物語の行間を読みこなすのは辛かった。それ以来この人のマンガは読んでいなかったのだが、たまたま見つけた最新作が染み入ってくる。
これはどうもぼくのツボに入っているのが原因の一つであるようだ。基本的に恋愛沙汰はあまり得意でもなく、自分から積極的にアプローチをかける意志もあまりない。ここで自分の性向を暴露してどうというわけでもないのだが、そんなぼくにとって本作は理想的な設定のようなのである。30代半ばを過ぎた美人さん、50代大学教員の男性。恋愛の定番から外れたような2人の日々は、ドラマティックというよりも淡々としており、むしろお互いの微妙な心境の変化が細やかに描かれていく。
『娚の一生』というからには、かなりの期間を見越して話を紡いでくれるのだろうか。少なくとも彼らにとって、結婚することは最終目的地でないように思われる。確かにまだ結婚にまで至ってはいないが、海江田氏は“日本エッセイスト賞”の授賞式に出席する際、つぐみを妻として紹介している。社会的認知というやつだろうか。となると、2人の間においては「結婚」というイベントや、「婚姻届」という法的手続きにそれほどの重きが置かれていないのは明らかだ。お互いにとってこれから「2人でいること」がどのように変わってゆくかが最も重要なのだ。
先にも挙げたように西炯子氏の作品は、おそらく言葉に表さないものを表現する点において最も魅力を放つ。以前この人の『お手手つないで』が苦手だったのは、多分に作品のマイペースさが濃厚に立ち上ってくるのに我慢できなかったからだろうか。いや、高校生のあの青臭さがあまりに濃密に描写されているのをいまだ他人事として読めなかったからだろうか。
本作は、ぼくにとって未来の自分の、つまり架空の物語としても映っている。仕事をバリバリできて、それでも何かプライベートな部分での悩みを抱えているような女性も魅力的だが、大学教授として自分の道を突き進んできた割に飄々としている海江田氏もかっこよすぎてしょうがない。こんな人間になれたらいいなあ…と若造のぼくは、奥手というのか「据え膳願望」と呼ぶのか、そんな自分の困ったところを棚上げにして、2人の関係にいいなあ、いいなあ、とため息をついているのだった。