『孤独のグルメ』を紹介して1年が経った。料理マンガで、これは!という作品にまた最近出会えたのでご紹介したい。今回は2冊。深谷陽氏の『スパイシー・カフェガール』と『スパイスビーム』である。コミックビームを購読するようになって数年たつが、この方の短期連載作品を以前読んだことがある。とても丁寧に絵を描くなあ、と思う一方で登場人物、とくに女の子の団子っ鼻が気になってしょうがなかった。当時はほとんど気にもかけていなかったのだが、ひょんなことで検索に引っかかり、購入してみた次第だ。改めて読んで分かったことがある。この人の作品は「うまい」。もちろん二重の意味で。
タイ料理店にふらりと立ち寄った青年が料理の味に惚れ込み、超繊細な料理を作る強面の店主と謎の美女のいるその店で見習いを始める、というのが大筋である。何よりインパクトがあるのが、初めて料理を口にしたときのシーンである。一口目で、ドン!と衝撃が走る。辛い…辛いけどおいしい。レンゲを口に運ぶ手が止まらず、気づいた時には皿も空になってしまっている。このシーンは繰り返し描かれるのだが、読むたびに爽快感をおぼえる。食べている人たちは例外なく幸せになっている。これはもはや魔法である。
おそらく深谷氏はこの原体験を伝えたくて本作を描いているのではないか、と思われるほどにこのシーンはたびたび現れる。しかも、それが読んでいる側にはよく伝わってくるのだ。食べる人の驚きの表情、息つく暇もなく料理をかき込む姿、そして食後の軽い虚脱感。そんな体験をしたことのないぼくにとっては、羨ましくさえも思われる。主人公の青年がその表情を見て、やった!と喜ぶのもまた、こちらの幸せをさらに増してくれるようでもある。
もちろん、2作品とも食べることに終始しているわけではない。何かと物騒な街の中、いろんな人々が店にやってくる。強盗から逃げてきた犯人、アフガンから密入国してきた少女、暗殺者まがいのストーカー、かと思えば恋に不安な中国人女性、母の帰りを待つハーフの少女とさまざまである。みんなが料理を食べて改心、と都合のいいことになるわけではない。それでも何か心を動かされて少しだけ状況が変わっていく。あるいは強面の店主が何も言わずに面倒事を片付けてしまう、なんてこともある。色々な国の人がそれぞれの事情でこの店を出入りする。そんなあわただしい中だからこそ、店で出される「カライけどうまい」料理はひと際存在感を放っているのかも知れない。
この店にいると一日に何度も目にする――こういう顔――
それぞれのお客がそれぞれに浮かべる「美味い」って顔
それが嬉しくて俺は…
(『スパイスビーム』p.187-190)
月並みだが、主人公のこの思いこそが最良の味付けだ、とも言っていいのではないだろうか。
唐沢なをき氏が『スパイシー・カフェガール』の帯で「有無をいわせぬストーリー構成! 超絶の画力(マジで!) なにより女性(ヒロイン)がチョ――――可愛い! 諸君、完璧ですよ、このマンガ!」と絶賛するだけのことはある。緻密に、写実的に描き込まれているはずなのに、それを苦痛に感じさせず、それどころか無理なく何度でも読み返したくなるような気にさせられる。久しぶりに、よい体験をさせてもらった。折あるごとにこの2冊は手にとって読むことになりそうだ。