松本次郎の『べっちんとまんだら』がおもしろい。女子高生が杉並区の河川敷でゾンビ相手にサバイバルゲーム、と訳の分からない設定で自由奔放に話が進められている。あとがきにもあるように、彼はサバゲー趣味からアイデアを考案したという。世界観の設定も後付けで済ませてしまうほどの適当さだ。しかし、この自由さゆえに本作品はおもしろい。
この作品の掲載誌、エロティクス・エフはその名の通り性的表現をも許容したハイクオリティな作品を載せることをモットーにしている。そのため惜しげもなく性描写が随所に放り込まれるのだが、別段そこが見どころと言うわけではない。エロティクス・エフの掲載作品はどれも特定のテーマに縛られることなく、描きたいことを自由に描いているような印象を受ける。今回紹介するこの作品もその自由な作風がとても特徴的なのだが、その傾向がとりわけ強く、しかも夢の世界のような浮遊感までも感じられるのだ。まずあらすじを述べておこう。
杉並区の河川敷をうろつく2人の女子高生、べっちんとまんだら。河川敷には死んだ人間の魂が集められるのだが、ときどき肉体や服も一緒に転送されてきてしまう。べっちんは河川敷の管理人に、餓鬼や(杉並)死民と呼ばれる存在の駆除の手伝いを任されている。どこからか湧いて出てきたまんだらも一緒に、餓鬼を駆除したり、河川敷をうろついたり、ケンカしたり。
女子高生2人の日常、と言うには少し違う。各話のつながりもなく、特に大きな目標に突き進むでもなく、ただ杉並区の河川敷あたりをうろうろしているだけの話ではある。しかし、この現実世界を舞台にしているはずなのに、彼女たちの世界はその現実から付かず離れずの距離でフワフワと浮遊している感じがするのだ。まるでこれは夢の世界だ。
ぼくらが寝ているときに見る夢も、明らかに妙な具合に現実の素材が配置され、でもそれが当然のように収まっている。しかも、なぜか見る者を惹きつけてやまない魅力を持ってもいる。脈絡がないように見えてある、あるように見えてない。『べっちんとまんだら』もそうだ。たとえば第3話は、まんだらがなぜか言葉の尻に「でやんす」をつけてべっちんに気味悪がられる話になっていて、脈絡がない。次の話にも関係ない。それに、当の主人公のべっちんとまんだらもアチラの世界にイってしまっている。どこが現実で妄想なのかも定かでないような世界で繰り広げられるこのドラマは、読者を目まいの世界に連れ込み、帰り道もテキトーにしか教えてくれない。一体何のことなんだか…あまり判然としないまま、物語は終わる。
この確信的なつくりがたまらないのだ。作者の趣味をふんだんに盛り込み、その語り口はまるでB級映画。商業誌に載せる以上、こういった手合いは極力避けられるはずだし、そうそうお目にかかることもないはずなのに、なぜか最近この類の作品――たとえば沙村広明の『ハルシオン・ランチ』(未刊、good!アフタヌーンで連載中)――を見かける。特定のテーマや題材に縛られず、好きなことを描く…少し考えてみれば、これで面白い作品が描けるというのは相当な技量である。
作家も、そしてマンガも進化しているのだろうか。これは要チェックです。