この年末、TAGRO氏の単行本が3冊同時に発売された。最近人気を集めている『変ゼミ』の3巻、新装版『宇宙賃貸サルガッ荘』の1巻、そして短編集の『Don't trust over 30』だ。ついこの間この短編集を入手したのだが、これにやられてしまった。本作には、ファウストなどに連載された作品7編が収録されている。無駄がなく、生(なま)の部分へまっすぐに迫ろうとする言葉で、三十代に入った主人公の思いに溢れている。おそらくこれは作者の独白なのだろう。デビューしてもなお、自分の描きたいものは何か、と自問し続ける作者の姿がいたるところに現れているようだ。
三十代にもなると、人々は社会的地位や伴侶を得て、安定した生活を送るようになる。主人公は思い悩み、焦りや苛立ちの中で、「完全な創作」――確かに自分の作品だと呼べるものを作り出そうと苦しむ。ときに編集者に、その思いがぶつけられる。
オレが今まで描いてきた物なんて
単なる記号の組み合わせですよ
むしろ記号の一つ一つが上手けりゃ
組み合わせなんてどーでもいい
もうそういうバカに付き合うのも
そういうバカを生産するのも飽きた
堂々と批判される物描いてみたいんすよ
(p.18,「Don't
trust over 30」)
あるいは、一緒に芝居を見に行った担当編集者にネームを渡す。編集者は「こっちの方が面白い」と評価するのに対して彼は即答する。
それはないネ
アレもコレも無様な
小ネタのツギハギだ
(p.12,「Don't
trust over 30」)
もちろん、これらは作品の主人公の言葉だ。でも、もはや作者の独白に近い、と思わずにはいられない。それは主人公の設定が作者自身を思わせるからではない。上手く言えないのだが、主人公の背後の夜闇を息が詰まるほどに濃く感じるのだ。デフォルメからはみ出してきた夜の闇が、じわじわとせり出してくる。
三十歳を過ぎるってこういうことなんだろうか。ぼくには主人公の感覚がとても生々しい。たとえば「SON HAS DIED, FATHER CAN BE BORN」に登場する主人公の妹は、典型的な“大人”に思える。社会性を備え、落ち着いていて、迷いを突き抜けたような表情。TAGRO氏自身、周りの人がそうやって“良い大人”になるのをじっと見てきたのかもしれない。そして、そんな“大人”になることに反抗し、しかし“そうなれない”とも感じ、自問し続けてきたのではないだろうか。おそらく、他の人よりもずっと。
「売れるようになったら本物です」と本人がどこかに書いていたような気がする。売れっ子になったら迷いもなくなるだろうか。いや、その時はまた別の悩みがやってくるだろう。『変ゼミ』『宇宙賃貸サルガッ荘』といった“表”の創作的な作品と同じくらいに、質の高い“裏”の、私小説的な作品を作り出せる方は実はそうそういない。売れるか売れないかという微妙な立場だからこそ、この私小説的な土壌が豊かになるのかもしれないが、TAGRO氏は今後もまた“裏”の作品を続けて作りだしてほしいとぼくは願ってしまう。
この本をたまたま開いたときは、ぼくは私事で何かと煮詰まっていた。だからこそ作品のニオイをひしひしと感じたのかも知れない。ご本人は嫌がるかも知れないけれど、ぼくはこんな作家さんがいたことを嬉しく思う。若いころの生傷がかさぶたになってもなお、何かを問い続ける姿は、とても美しいのだ。