ジョージ朝倉の「溺れるナイフ」をご存じだろうか。これは傑作になる…と秘かに期待している作品の一つだ。ジョージ朝倉はどの作品も傑作だと思っているのだけど、この「溺れるナイフ」はなかでも抜きんでて美しい。少年と少女の想いが、息をのむような表現で描かれている。
この作品の舞台は、東京から車で5時間ほども離れた田舎、「浮雲町」である。それまで東京でモデルとして活躍していた夏芽は、突然の事情で父の実家に住まうことになる。それでも夏芽はモデルを続け、CMや映画への出演と順調に成功していくかのように見えた。しかし、一つの事件が彼女を襲い、彼女の思い描いた将来や人間関係は一変する。
たびたび目を引くのは、登場人物の「言葉」の早熟さだ。主人公である夏芽をはじめとして、彼女が恋をする航一郎もその友人の大友も、この年齢で、と驚くほどに大人びた台詞を口にすることがある。
わたしが欲するのは
例えるなら
稲妻が体を貫くような衝撃・熱・閃光
もっと
もっと
目が回るほど
息が止まるほど
震えるほど――
(1巻 p.7 第一話「十二歳 世界の始まり」)
これが夏芽の、初めてのモノローグだ。いかにもキャッチーな台詞だが、12歳の言葉とは思えないようなアンバランスさがこの作品に一貫して現れている。肉体的にも精神的にもカバーしきれないような、圧倒するほどの激情。彼女が想いを寄せた航一郎もそうだ。彼に初めて出会った時、彼の周りだけ光が放たれているように見えた。夏芽は航一郎のただならぬ魅力に一瞬で惹かれてしまう。
もちろん、登場人物の早熟さや美しさは多くのマンガによく見られることだ。この作品がすごいのは、これらの設定が必然的に物語に組み込まれているだけではなく、主人公たちが羽をもがれる天使のように幼い全能感を失ってゆくそのさま、うねりを、じっくりと、執拗なまでに描き出そうとしている点にある。その姿は、浮雲町のそばにある「海」をモチーフとして何度も何度も描かれる。暗い思いに落ち込んでいく夏芽は、まるで夜の海に沈んでいくように描かれる。「脈打つ巨大な1コの生き物みたい」な海は、夏芽の内面そのものとなっていってしまうようだ。
波打ち際で陽光に映えるような青春の日々と、暗い海の中に沈み込むようなこころ。これらが入れ替わり立ち替わりしてこの作品をいろどっている。作者は、このような情景を映画的な手法によって描き出しているように思う。10代の鋭敏なこころを、大きく打ち寄せては引く夜の波のように、視覚的にダイナミックに表現している。ぼくは、それを見るたびにめまいを起こしそうなほどアテられてしまうのだ。いつまでも自分の「神さん」であってほしいと航一郎にねがう夏芽。その想いを担い切れない航一郎。もはやこれからの彼らの生は、挫折と妥協の産物でしかないのかもしれない。しかし、そのなかでこそ大きく揺れ動き、ときに輝きを放つ姿こそが、もっとも美しい。以前、作者は「平凡ポンチ」であからさまに映画をテーマとして、往年の名作へのオマージュを詰め込んでいた。今回は、成瀬巳喜男の「浮雲」の名を持つ片田舎の町で物語が進む。この映画的世界で、主人公たちがどのように変わってゆくのか。ジョージ朝倉が描く、随一の青春もの。これからを期待せずにはいられない。