ぼくが今までマンガを読んできて、今なお記憶に焼き付いているのは10年前の作品ばかりだ。あのころは週刊誌を手当たり次第に読み漁り、それでもまだ足りないとばかりに本屋を渡り歩いていた。一番マンガをたくさん読んで、そしてもっとも楽しい時期ではなかっただろうか。そんなときに出会う作品は、ぼくの中に強く刻まれている。その一つが、武富智氏デビュー作の「キャラメラ」だ。
中学生の数井はどこにも居場所を失い、吹き溜まるように時代遅れのゲーセン「キャラメル」に居つくようになった。不良の先輩たちのパシリとして、それでも抜け出すことができず居続ける毎日。そこでバイトをしていたアッコさんに出会う。8年経ってもアッコさんを忘れられず、数井は再びキャラメルにやってくる。
登場人物たちが切なさに顔をクシャッとさせるのがとても好きだった。鼻を赤くし、下唇を軽くかむような表情。それぞれが皆恋をしていて、しかしその誰もが自分の想いをうまく相手に伝えることができない。はたから見ればそんなこと誰だってわかるほど明らかなのに、本人自身がうまく伝えられず、たとえ伝えたとしてもその想いは簡単にかなえられるものではない。彼らの切なさに身を焦がす様子がとても印象的だった。彼らは一体どうなるのか…次回を読むのが楽しみでならなかった。
それに、格闘モノかセクシャルな作品かといった当時のヤングジャンプの中で「キャラメラ」は飛びぬけて清新で、でもどこか懐かしさを感じさせるものとして映ったのだった。加えて、“誰も気づかないだろうけれど自分だけは知っている”的な秘かな自負心と喜びもあって、ぼくは穴場を見つけたような気分でいた。
しかし、武富氏にとってのデビュー作でもあるこの作品は、それゆえのまとまらなさも持っていた。初恋の人との再会、主人公の記憶喪失、キャラメルの閉店騒動…それぞれとても重要な内容であるはずの場面がうまくまとまらず、並べられているようでもあった。それに気付いた頃、ぼく自身はすでに当初の興奮にしがみついて読み続けているような形になっていた。後半で登場してくるキャラメル店長の壬(みずのえ)が登場する場面では、ゲームの最終ボスでも出てきたのか、なんて思いながら読んでいた。その時はとっくに気持ちが離れていたのだろう。当時、ラストを読んだ記憶はほとんどない。
そんなことがあり、結局8年が経ってしまった。武富氏はその間に、「この恋は実らない」「EVIL HEART」などいくつかの中編作品や短編集を出した。ぼくはと言えば、心のどこかで「キャラメラ」が引っかかり続けていて、ことあるごとにふと思い出すのだった。そろそろかな…そろそろ買ってもいいかな…と。そしてついに、「キャラメラ」を古本で取り寄せる。武富氏の作品、「キャラメラ」以外を全て入手した後だった。
これは作者の熱意、初期衝動の塊だ。言い方はアレだが、ここには、伝わらないなりに自身の描きたいことを描き通す熱意があった。20歳になってもなお、思春期の痛みを抱えながら生きる青年の姿が描かれていた。この熱さこそが、10年近く経った今でも読みたいと思わせる理由なのだ。出来の悪い作品なんかじゃない。もっと多くの人に読まれてもよい作品だ。そしてこれから、武富氏がもっと熱い作品を作り出すことを、ぼくは願っている。