ある昼下がり、Kが昼休みに近くのオープンカフェで書類を広げてコーヒーを飲んでいるテーブルの横に、いつのまにそこにいたのかという自然さで手をつないだ二人の姉弟が立っていた。

「君たちがやってくるだろうことは予想できたよ。なにしろ君たちはシモンのところにもやってきたからね。」

「あなたに予想する権限は与えられていないわ。」と雄弁な姉はいう。

「指令するのは私たちのほうで、あなたはそれに従えばいいのだから。あなたには自ら何かをしようという主体性は与えられていないわ。」

「確かに、君の言う通りだ。事はシナリオ通りに進んでいる。ぼくはAだか、へんしう長だか、双眼鏡の黒幕だか、得体の知れないない人物に「依頼」をうけ、ほんとうはAがうけるべきその仕事を「代行」するはめになったのだから。その仕事とは「アラン・ロブ=グリエ――フランス語のレッスン」という書かれなかったテキストを探し出すことだ。もともとAが言い出した話がアランの何を探り出そうとしていたのかは知ったことじゃない。ぼくは誰かに頼まれたわけでもないのに書かれなかったテクストを探し出すという「宝探し」にまんまと乗り出すはめになったというわけさ。すべてはあらかじめ決められた物語の説話論的構造に従って進行しているよ。」

「あなたは何を言っているの? そんな台詞はシナリオに書かれてはいないわよ。」

「もちろん。このテクストはシモンの物語をなぞって書かれているだけで、シモンの物語通りに語られるはずはないよ。これまでも何回も脱線したようにこれからも脱線するだろう。だいたいが、日本語で書かれたテクストにフランス語の教科書風を求めてもそもそも無理があるだろう。ぼくは、何を言っているのか? ぼくが、何を言っているのか? それにぼくはあらたなシナリオを手に入れたんだ。「依頼」→「代行」→「出発」→「発見」という経過をたどる物語は、「権力の委譲」と「二重化」という主題を通して、「黒幕」と「双生児」との対立という展開をする。」

「おやおや、何を言い出すかと思ったら、私たちがその「双生児」だなんて言い出すんじゃないでしょうね。あなたは行ったり来たりしているだけで、ちっとも「出発」なんてしていないじゃないの。それに私たちは、それと明らかにされているわけじゃないけれど、「黒幕」の側に立っているのであって、まちがっても「黒幕」と対立したりなんかはしないわ。」

「そんな小さな細部の差異には目をつむって、説話論的な還元を施す必要がある。」

「待って、「黒幕」と対立関係にあるか、あるいは同じ側に立つかは、その説話論的ナントカにとって小さな差異ではないはずよ。」

「問題は、指令を発する「黒幕」とそれを受ける「双生児」が作り出す三角形なんだよ。ほとんどの場合、「依頼」は頂点から二等辺三角形の底辺を決定する一点へと下降するかたちで示されるのだが、そのとき主人公は、頂点から底辺に引かれた直線を軸として対称的な所に位置するいま一つの点からの協力なり援助なりを得ることによって、ほとんど命令に近い「依頼」をやりとげることになるだろう。事実、大江健三郎の『同時代ゲーム』に登場する「きみの恥毛のカラー・スライド」という言葉が喚起する黒々とした二等辺三角形が、すでにこのテクストにも登場しているじゃないか。」

「そんな苦し紛れの言い訳にだまされたりやしないわ。あなたが蓮實重彦の『小説から遠く離れて』を読んで簡単に影響を受けたあげくに、ほとんど口移しのようにそんな台詞をしゃべっていることぐらい私には分かっているのよ。」

2008年4月7日号掲載

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