いくら飢餓状態にはいっているとはいえもう少しましな幻覚を見れないものだろうか。このままおかしくなっていくんだ。わたしは急にいらいらして、握りしめていたタオルで顔やら手やらを拭き始めた。しばらくすると隣からではなく、目の前の人形から声がした。
「ちょっとさあ、これなんとかしてよ」
そちらを見まいとしたが、どうしても視界の隅に入ってくるその体からはぽたぽたと水が滴っている。やはりあのバウムクーヘンを拾うべきだったよなあ。
と思いながら、無視して今度は畳を拭いていると、
「ちょっと、これなんとかしてっていってんだけどぉ」
と人形がぽてぽてと水滴をたらしながら近づいてきたので、こわくなってあわてて部屋に干しっぱなしだったTシャツのなかからきれいなほうのものを選んで彼を包んだ。
「ごめん、乾いたタオルがないからこれで我慢して」
目を合わせないようにいそいで拭く。
「んー、もうちょっとやさしくしてくんない。さっきとぜんぜん扱いがちがうじゃない」
「ごめんね」
「あやまってばかりだねえ」
ふう。と、ため息をついてそいつは畳に座りこんだ。
「あんた、カレンのかわりに来たんじゃないみたいだね」
「カレンって」
やっと人形をみることができた。まだ、完全に毛は乾ききってないが、さっきまでと同じ様子のテディベアがいるのにすぎなかった。
「集合時間を間違えたんだ。ぼく」
「集合」
「うん。君がかわりの奴かと思って合図しちゃったんだけど、君ったらぜんぜん反応しないんだもん。しまった関係ない奴だ、と思ったときにはもう遅くて。こうしてこんなところに連れてこられちゃってさあ。しかたない、しばらくの我慢だって思ってたら、さっきあんまり気持ちいいことしてくれちゃうからあ」
彼は、まあるい手を口元にもっていって、
「あんな声、出ちゃったじゃないか」
と、しばらく、くっく、くっくと笑っていた。
2003年12月29日号掲載
|