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who?

 

はじまりへ
タッフィ

 

 

 

 

 

 

 


 アメリカの家に来てからしばらくは、ぼくはエルのドイツでの想い出の単なるひとつとして、他の日記や写真とともに木箱のなかに入れられたままだった。ある年のクリスマスの前日に彼らの間にマーロンていう男の子が産まれ、ぼくがそれまでの暗やみから抱き上げられて、砂糖菓子であつらえたみたいなベビーベッドという真っ白な世界に迎え入れられるまではね。エルはまるでそこからやっと呼吸をすることをおぼえたとでもいうように、それ以前の彼女とはまるきりかわってしまったよ。それまでの孤独な時間は葬り去られたんだ、ぼくと入れ替わりにあのかび臭い木箱のなかにさ。それからの毎日はぼくは誰よりもマーロンの笑顔とめまいをおこしそうなほど甘ったるいミルクの匂いを独り占めしていたよ。

 でも、ぼくは彼の寝顔をみていていつもなんだかやたらと切ない気持ちにもなった。一番幸福なときって、そういうものじゃない。その後もう二度と、どういうひとと出会ってもそんな気持ちになることはなかったけどね。マーロンとぼくは、よく似ていたらしいんだ。巻き毛、髪の色、目の色、形も。それは、もともとぼくがぼくの作者であるエルににているということもあるかもしれないし、一緒にいるうちに似てきてしまったのかもしれないしよくわからないけど、ぼくはらは互いが大好きで、彼はぼくにいつもだれにもいえない(だってまだ言葉なんてはなせなかったころのことだし)とっておきの話をぼくにきかせてくれ、ぼくはぼくでドイツでのエルの話やどうやって海を渡ってきたかとか、やがて知るだろう街のようすや列車のはなしなんかをいつもしてあげてたんだ。マーロンはぼくをほんとの兄弟とおもっていたはずさ。だから、よくいる子供みたいにベアの耳をひっぱりまわしてしまいにはもいじゃったり、なめまわして毛をぼろぼろにしたり、ひきずって毛をすり減らしてみすぼらしく変貌させたりなんて絶対にしなかった。子供なのにさ、そういうことをしないんだよ。そういうところがぼくをせつなくさせていた理由のひとつかもしれない。今思えば、彼はきっと8才になるまでの時間ものすごい勢いで成長していたのだろうね。だって8年間で一生を生きなければいけなかったわけだから。それは偶然がいくつもかさなって起きた事故だったんだ。

2004年5月17日号掲載

 

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