住宅街 路上 

大股で早歩きのハルチカにすわんが小走りで付いていく。爽快な顔つきのハルチカ、興奮している。

すわん  「あいつに何したの?」

気付かないハルチカ、すわんが肩を叩く。

ハルチカ 「え、なに? あ、そうか、悪い」

すわんが持っていたスーパーの袋を受け取る。

すわん  「そうじゃなくて。何したのよ? あいつに」

相変わらず早歩きのハルチカ。

ハルチカ 「俺が中一んとき、近所にホームレスみたいなおっさんが古本屋出したんだ。だいたい拾ってきたようなエロ本とかどっかの図書館からかっぱらってきたような、イヤ実際背表紙にシール貼ったままだったな。主にそんな品揃えでさ、普通の煙草をさ、マリファナだっつって無理矢理俺らに吸わせたり……」

すわん  「ハルチカ! ハルチカ!」

ハルチカ 「なに? ああ、今俺のこと名前で呼び捨てにしましたね。まあそんなことはどうでもいいや」

すわん  「なにを喋ろうとしてるの?」

ハルチカ 「いやよくわかんない。そんで、その古本屋に一冊だけ、でかい昆虫図鑑があったんだよ。すごい豪華な感じの、今でも覚えてるけど定価のとこに6万8千円とか書いてあるやつ。俺それ欲しくてさ、いくらって聞いたら2万だっつうんだよ。でそんな金すぐ無いから、しばらくは立ち読みっていうか見蕩れてた、毎日何時間もずっと」

すわん  「何時間も?」

ハルチカ 「そう。おっさんの機嫌が良かったりすると隣のそば屋からカレーうどんとって食わせてくれたりもするんだけど、なぜカレーうどんかっていうと、皆食う時に汁が跳ねたりすんじゃん、そうすっと本が汚れたから弁償しろとかいうんだよそのおっさん、だからオレら円陣組んで食うんだけどさ、まあいいや。で、俺も部活やなんかで忙しくなってさ、すごい久し振りにそこに行ったときもまだあったんだよ、昆虫図鑑。久しぶりでなんかスゲえ嬉しくなって背表紙持ち上げたらさ、パカって開くんだよ本が」

すわん  「なんで?」

ハルチカ 「糞が挿んであったんだ。もうかなり時間経ってて乾いてたから臭いとかはなかったけど、強烈にショックでさ、なんだよこれっておっさんに言ったら、俺が挿んだって当たり前のように言うわけ」

すわん  「なによそれ、なんでそんなことすんの、そのおじさん」

ハルチカ 「ははは、おっさん自身もわかんないって言ってた。道に落ちてんの拾ってきて挿んだだけだって」

すわん  「やばくない? そのひと」

ハルチカ 「そう。でも俺それ見てたらその本がムチャクチャ愛しく感じちゃってさ、世界で俺だけがその本のこと解ってるような気になってきて。その本見てるときだけは、眼ぇ開けて夢見てるみたいだったのがさ、急に現実を捩じ込まれてて、それでも俺とその本の関係だけはちゃんとあるんだけど、同時に初めてそれが、ただの本だってことが解ったような気がしたんだ」

すわん  「意味が良くわからないわ」

ハルチカ 「うん、つまりなんていうかスイッチみたいなもんをさ、おっさんは作ったわけ。現実と夢の間にあるようなさ、ふー……。で、ここにもそれに似たようなもんがある」

と、少年から奪ったリュックを持ち上げる。

すわん  「なに入ってんの?」

ハルチカ 「んー、だからそういったもん。のかなり強烈なやつ。これ全部現実になっちゃうんだもんな」

すわん  「カメラ? だったらケーサツに届けたほうがいいよ、じゃなきゃダメだよ」

ハルチカ 「いや、それじゃスイッチにならない、それに本来最も歓迎すべきもののひとつなはずだよ。あいつはただ人殺しに走っただけで」

言いながらリュックをその辺の植え込みへ放る。

ハルチカ 「甘いな俺も」

呟くハルチカ、驚くすわん、立ち止まる二人。

ハルチカ 「今度ここ通ったときまであそこにあったら、そんとき考えよう」

微笑むハルチカ、呆れるすわん、歩き出す二人。

すわん  「ねえ、その後その古本屋さんどうなったの?」

ハルチカ 「火事で燃えた。全部」

すわん  「ハルチカが火つけたんじゃないの?」

ふざけたように言う。

ハルチカ 「うん。ガキは残酷だから」

2007年12月17日号掲載


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