―――今回の『火垂るの墓』は、亡くなられた黒木和雄監督(『紙屋悦子の青春』『父と暮らせば』『美しい夏、キリシマ』『祭りの準備』など)が温めておられた企画だそうですね。
日向寺 正しくはプロデューサーの企画なんですが、黒木さんが準備しておられたのは確かです。
―――『火垂るの墓』は、既に名作と言われる長編アニメーション映画がありますね。そのあたり、大きなプレッシャーがおありだったと察しますが?
日向寺 大きなプレッシャーが3つありました。まず最も大きかったのは、私に <戦争体験がない> ということ。戦争というものに対して、「聞く」ということは出来ますが、体験世代と同じトーンでは語れない という実感がありました。2番目に、今、お話にも出ましたアニメーション作品の存在。『火垂るの墓』と言うと、あの作品の印象が 大変強いですよね。その企画に挑むからには、アニメ・実写という違いはあれど、先行する作品に勝つか、そうでなくとも拮抗することが出来なければ、改めて映画化する意味がないなと。3番目は、この作品は子役が主人公の作品です。特に節子役の畠山彩奈ちゃんはまだ5歳。監督2作目として、これは難しい部分だろうと。監督術・演出術として難しいだろうなということですね。このように、3つのプレッシャーがありました。
―――吉武さんとしてはいかがでしたか? プレッシャーはありましたか?
吉武 僕としては、戦争というものも、監督が感じているプレッシャーであるとか、抱いている気持ちも、きちんとはわからなくて。その中で、脚本を読んだり、アニメ版やテレビドラマ版を鑑賞したりしました。その上で <清太という役を自分の中に入れる> ということを目指しました。脚本通りに演じるのですが、アニメ版やドラマ版を意識せずに演じよう。そして、自分を失わずに清太になろうと心がけました。生活の部分で、吉武怜朗という自分を活かして、必要なものを取り出そうということです。
日向寺監督にお聞きします。この脚本は西岡琢也さん(『TATOO(刺青)あり』『丑三つの村』『犬死にせしもの』など)が執筆されたわけですが、監督も脚本段階から参加されていらっしゃったのでしょうか?
日向寺 ええ。精力的に参加させていただきました。
原作は50ページにも満たない短編です。当然これだけでは長編映画になりませんよね。そのため、アニメ版も独自の肉付けをしています。今回の実写版も同じくです。その中で、今回、独自の脚色が特に2箇所で顕著だったと感じました。1つは主人公である清太の扱いです。原作でも、アニメ版でも、清太の扱いは同じですが、今回は大きく異なりますね。まず、その点について監督の意図をお聞かせ下さい。
日向寺 多くのインタビューをお受けしてきましたが、この質問は今回が初めてですね。やはりここには「同じことをしても意味がない」という思いがあります。まず、原作から40年経っています。それを現代の観客に理解してもらえるようにしなくちゃいけない。そのために、清太というキャラクターをはっきりさせたいという思いがありました。そこで、原作・アニメ版は共に清太が優等生過ぎる、万能過ぎると感じたのです。そういった部分で、今回は清太に <不完全さ> を与えてみました。喘息持ちという部分などがそうです。あと、清太に関してはもう一つ、ひょうきんさを与えてみました。劇中で披露するどじょうすくいなどで、軽味をと考えました。
なるほど。また、もう1点。今回、原田芳雄さん演じる町会長、江藤潤さん演じる校長先生、山中聡さん演じる大学生などといったキャラクターを新たに創作したり、膨らませたりしていますね?
日向寺 はい。町会長や校長先生は原作に登場しません。山中聡さん演じる大学生と池脇千鶴さん演じる戦争未亡人のカップルも、原作では1・2行しか登場しません。そのキャラクターを作り出したり、膨らませることで、新しい『火垂るの墓』を表現しました。西岡さんには <なぜ今なのか> を念頭に置いた脚本作りをお願いし、アイデアを出し合いました。また、先の話に戻りますが、ラストは大きく変えています。そうした方が良いと思いました。ファンタジーになってしまうことを避けたいという思いがあったからです。戦争というものをじっくり考える機会を提供したい。そのためには、ファンタジーではいけません。終戦から63年。以来、日本は戦争をしていませんが、これは歴史的に特別な時代です。その特別な平和の中で私たちは今生きていますが、この土を掘れば、そこには戦争があります。一皮剥けばすぐに戦争があるわけです。となると、私たちは戦争で死んだ人の上に立っているわけですね。そこで戦争を背負うということを、戦死者について考えるということをしなければいけません。戦前と戦後は決して離れていません。繋がっているんです。そのため、やはり清太は現代人として響く役柄にしました。また、その一方で、スクリプター(記録係)の内田絢子さんから「あの時代の人たちは食事をする時に『ごちそうさまでした』と手を合わせることはしなかった」ということを聞き、その描写を改めたりもしました。そういったリアリティは随分意識しましたね。
空襲後の焼け野原となった神戸のセットが素晴らしかったですね。
日向寺 CGで空襲を描いて、それなりのスペクタクルは描けると思いますが、そうしませんでした。これは脚本製作の段階で西岡さんと話し合って「それはやめよう」と。CGを使うと、それがCGだってわかりますよね。もちろん、CGを使った素晴らしい戦争映画というのもありますが、この作品ではやめようと。それよりも、空襲後のシーンで、雨の中を泥にまみれて歩いている人々というシーンでリアリティを追求しました。空襲はわからなくても、雨や泥なら私たちにも皮膚感覚として理解できますから。美術は木村威夫さんの監修ですから、もう安心してお任せという感じでした。
吉武さんは如何でした? 例えばCGであれば、青いマットの前で空襲を受けている振りをしながら演技をしなくてはいけないのですが、あのセットは実際に吉武さんの目の前に広がっていたわけですよね? 美術監修は日本映画美術の神様と言ってよい木村威夫さんです。その底力が発揮された素晴らしいセットですが、現代っ子の吉武さんにとってどうでした?
吉武 いやあ、もう圧倒されましたね。凄かったです。あのセットで一気にその時代に入っていけたというか、ただただ「凄いな……」と。普段は戦争について考えること、あまりないです。友達とも、ゲームの話だとか、「あ、あの女の子可愛いなあ」とかいう話をしていて、戦争と言われても実感が湧かないのですが、あのセットを目の前にしたら…… ホント、凄かったです。
―――意地悪な親戚のおばさんを演じる松坂慶子さんが素晴らしかったです。あと、母親役の松田聖子さんも清楚な魅力を放っていましたね。
日向寺 松坂慶子さんに関してはただ単なる悪役にはしたくないという思いがありました。そのため、戦地の夫が出した手紙が遅れて届くというシーンを用意しました。ここに、意地悪の原因になっている悲しみを表現したのです。決して一面的な人物にはしたくありませんでした。松田聖子さんに関しては、華やかさが欲しかったという狙いがあります。包帯でグルグル巻きになるシーンも御本人が演じているんですよ。
―――神戸が舞台ですから、全編が関西弁ですが、しっかりした関西弁で違和感がまったくありませんでした。
日向寺 ええ。方言指導の先生御二人に指導いただいて。ただ、やはり関西弁と一口にいっても、細かい違いが地域ごとにあるので、その御二人の先生にも違いがあるんですよ。
―――吉武さんのどじょうすくい、相当練習されたのではないですか?
吉武 はい。一所懸命練習しました。口三味線をしながら、動作をするんですが、難しかったです。所属している劇団のスタジオを借りて練習をしたり。家でもしました。一挙手一投足が全部タイミングなんですよ。そのタイミングを覚えるのに苦労しました。
日向寺 吉武君は身体能力が凄いんです。どじょうすくいの先生から「無理だよ。最低4年はかかる」と言われたのですが、彼は1ヶ月でマスターしてしまって。先生も驚かれていました。剣道のシーンで、頭に手ぬぐいを巻くシーンがありますね。あれも、作品では吉武君がチョチョイと手早くやってのけていますが、実はあれも相当難しいんですよ。
―――畠山彩奈ちゃんはいかがでした?
日向寺 彩奈ちゃんはとても楽しそうに台本を読むんですよ。見ていてとにかく微笑ましいんですよ。ただ、大変だったのは長回しのシーン。どうしてもカメラを見ちゃうんです。やっぱり、「なんだろう?」って思うんでしょうね。見ちゃう。だから「彩奈ちゃん、カメラ見ないでねー」って。撮っている間も「カメラ見ないでねー、見ないでねー」って。で「あ、見ちゃったねー……」って(笑)でも、彩奈ちゃん、良かったですよね。
―――撮り終えてみていかがですか?
日向寺 63年前との距離が縮まったというか。私たちには体験という核がないですからね。そういう部分では背伸びせざるを得ません。けれど、やって良かったと思っています。
日向寺監督が、戦争体験がないからという部分に大変プレッシャーを受けたとのことでしたが、その上で <再現> ではなく <表現> をすると仰っています。そして、そのことを <バトン> という言葉で表現されていますね。これは、昨年、新藤兼人さんが『陸に上った軍艦』の脚本を書かれた際に「監督は私ではなく、戦争を知らない世代にお願いしたい。バトンを繋げたい」と仰っていました。ここでも <バトン> という表現。その <バトン>、今、どう思われますか?
日向寺 いやあ、1作目の『誰がために』は少年犯罪を描いた現代劇でしたが、これはもう劇場用映画初監督作品ですから、撮り終えた時は喜びがありました。反省より喜びが大きくて。けれど、今回は戦争という、一種の時代劇になるわけです。撮り終えてみて反省ばかりです。けれど、それはとても充実した反省です。撮りながら色々と考えてという様子で、それは勉強になりました。
―――その反省を踏まえた、次回作の企画というのは今具体的にありますか?もちろん、これまでと同じように現代の観客を意識した作品づくりになると拝察しますが。
日向寺 ええ。もちろんです。常に現代人を意識して撮りたいと。まだ明かせませんが、現在企画もあります。
一同 本日はありがとうございました。
「これぞ映画作家!」と思わせる真摯な眼差しで、一つ一つの質問に真っ直ぐお答えになる日向寺監督の姿が大変印象的。現在高校2年生という吉武さんは、一見中学生かと見紛う幼さながら、その発言には確かな芯を感じました。戦後世代が戦争を表現した『火垂るの墓』は、現在、東京:岩波ホールで大ヒット上映中。Movie Walkerでは、映画評論家が選ぶ7月のベストワンに選ばれるなど、評判も上々です。これから徐々に全国公開が始まる本作、見逃す手はありませんよ。
日向寺太郎(ひゅうがじ たろう) プロフィール
1965年宮城県仙台市生まれ。日本大学芸術学部映画学科卒業。黒木和雄、松川八洲監督に師事し、『黒木和雄 現代中国アートの旅/前後編』(1998 NHK・TV)を監督。黒木和雄監督『スリ』(2000)、
『美しい夏キリシマ』(2003)には企画段階から関わる。『誰がために』(2005)で劇映画監督デビュー。少年犯罪とその遺族を描き、主演の浅野忠信が第60回毎日映画コンクール男優主演賞を受賞するなど、高い評価を得た。本作『火垂るの墓』が劇映画監督第2作となる。
吉武怜朗(よしたけ れお) プロフィール
1991年東京都生まれ。NHK『すずらん』『大河ドラマ葵〜徳川三代〜』などに出演。舞台『ライオンキング』ではヤングシンバ役。他、数多くのドラマ・舞台に出演し、実力派の若手として目下大いに注目されている。本年は、映画『アフタースクール』(内田けんじ監督)や、NHK 連続テレビ小説『瞳』に出演中。
火垂るの墓 http://www.hotarunohaka.jp/
2008 年 日本 100 分 配給:パル企画
監督:日向寺太郎
出演:吉武怜朗、畠山彩奈、松坂慶子、松田聖子、山中聡、池脇千鶴、原田芳雄、長門裕之、ほか
【上映スケジュール】
7/5 〜(土) 東京:岩波ホール
8/2 〜(土) 大阪:梅田ピカデリー、布施ラインシネマなんばパークスシネマ、 MOVIX 堺
8/2 〜(土) 京都: MOVIX 京都
8/2 〜(土) 兵庫:神戸国際松竹、ワーナー・マイカル・シネマズ加古川(別途上映会あり。 HP 確認下さい)
そのほか、全国順次公開予定