2011年02月19日掲載
初めての旅らしい旅はいつだったか。待て。どこからが「旅」というカッコ付きの扱いに変わったのか。定かではない。しかし、「仕事」という言葉を添えれば明らかに意味が変わる。そうだ。旅公演である。ワタシは舞台の監督をしている。仕事柄、旅はつきものである。かといっていつでも行きのかというとそうでもない。長い時もあれば短い時もある。
そうだ。昨年、全県を制覇した時、既に20年近い月日が経っていたのだ。確かに長い時間がかかった。人によっては十数年で達しているかも知れない。そう、人生それぞれである。
この制覇を記念して、極私的な(この言葉は変換できなかったので、説明を少し足しておくけれど、詩人の鈴木志郎康という方がよく使っていた。ワタシの造語ではないことをお断りしておく)記憶をここに綴ろうと思う。
2011年01月12日掲載
猫の信頼の深さを推しはかる
年明けに猫たちをワクチン接種に連れて行った。二匹同時に病院に連れて行くのは初めてだったが、特に混乱もなく二匹とも捕獲され、バッグにおさまった。病院でもおとなしかったので、滞りなくワクチン接種は終了、30分足らずで帰宅することができた。
対照的だったのは帰宅したときで、バッグから出るやいなやヲザワは普段以上に飼い主にすり寄り、コバケンは物陰に隠れて飼い主を睨みつけた。
2010年10月13日掲載
息吹き
希望の種を噛み砕くと
若くて苦い味がする
新芽になるまで待ってると
夢を育てる音がした
ちりちり燃ゆる音すれば
外でも火事でもなくってば
遠く近い胸のうち
こころの奥で鳴っている
2010年9月13日掲載
水平線
水平線をめざして
波に躯を揺すぶられながら
水平線をめざして
岩に足元をとられ何度も水飛沫に転倒しながら
ただひたすら水平線をめざして
8ビートの
奇怪な芳しい音楽が
水平線から遠ざかる
遠ざかる
秒速で動き回る影に捕らわれ
水平線が遠ざかる
[週刊電藝」2010年4月19日配信号より
早見純
「変態少年―
純の幸福な日々
(リターン・
フェスティバル)」
今回は早見純の『変態少年』である。どう見てもタイトルからしてヤバイ。そもそも新年度早々にこのような作品を挙げるのは何とも心苦しいのだが、あまりにも衝撃的だったのでご紹介したいと思う。早見氏は1978年に週刊少年サンデーで佳作に入選し、5年の沈黙の後にエロ劇画誌で連載を行っていたという。ぼくが他に読んだ『ラブレター
フロム 彼方』『純のはらわた――血みどろ怪奇作品集』『純の魂』などから推察すると、氏の作品群には、特に無意味かつグロテスクな描写が目立つ。美しい少女たちへの暴力行為や陰惨な行為は、それ以上の説明なしで唐突に終わってしまうことが多い。
この類の作品群は、約20年前の連続少女殺人事件をきっかけに退潮していったと言われている。しかし、最近になって早見氏の作品はあらたに傑作選として出版されはじめた。私が早見氏の存在を知ったのは、このことが背景にあったのだろうか。知人は2年ほど前に、駕籠真太郎や大越孝太郎の作品の中に『変態少年』を紛れ込ませて持ってきたのだった。
[週刊電藝」2010年3月29日配信号より
彼の舌は、滑らかだった。
つるつるである、とさえ形容できるほど乳頭が整い、味蕾の在り処など全く感じさせない。こういった舌は、煙草臭さも感じないものなのだろうか。
そう言えば、僕はタカオの舌を知らない。
舌だけではなく、繋いだ手の感触以外何も知らなかった。
[週刊電藝」2009年10月5日配信号より
[猟漫日記]
伊藤潤二
禍々しき時代を彩る錦絵師
ホラー漫画のパイオニアといえば、やはり楳図かずおということになると思う。それも、単純な視覚的怖さ(いやいや、楳図かずおの漫画は絵だけでも相当怖い(苦笑) あのギャグ漫画『まことちゃん』でさえ、楳図特有の作画が恐怖を突き抜け、笑いへとねじれた結果なのだ)ではなく、複雑な人間心理が紡ぎ出す、身近に誰でもに起こりうる、しかし血も凍る恐怖。この楳図かずおの功績を称えた第1回楳図賞(当時の選考委員は楳図かずお、稲川淳二、菊地秀行ら)での佳作入選を契機に、本格デビューを果たしたのが伊藤潤二である。
不条理、超常現象、異界、心理的恐怖、リアル、伝奇、ナンセンスギャグ等々、取り上げられたテーマはホラー漫画という枠組みでとらえる他ない自由奔放さだが、8割を上回る脅威の高打率で傑作揃いであり、アイディア、プロットと展開の見事さ、作画力そして量産性とも他の同年代の作家を大きくリードしていることは間違いない。
ストーリーの面白さ、ユニークさと漫画という点ですでに絵コンテが存在する安易さから、映画化された作品も少なくないが、そのどれもが無残な惨敗を喫しており、伊藤潤二を映画で知った人には、お気の毒という以外、言葉がない。映画を見て伊藤潤二をつまらないと感じてしまった不幸な人は、今からでも遅くはない。ぜひ漫画で伊藤潤二を再体験して欲しい。
[週刊電藝」2009年6月29日配信号より
桜か…。
日本の桜、もっと懐かしーかと思ったけどそーでもないな?
きっと、
ミラノから戻って来てまた好きな人と会えないとか、
イタリアが現実的に遠くなって来ているからかも。
その代わり、
この桜はこれから毎年の樣に見るんだろう。
十数年の空白があっても、
やっぱり自分の生まれ育った国の景色や習慣を取り戻すのは、
本当に雑作も無い作業で、
そのコトはダンナさんもアタシも帰国前から予感していて、
だからわざとオーサカとゆー縁もゆかりも無い土地を選んで暮らしてみてるのだけれど、
それはもしかしたら無駄な抵抗なのかも知れない。
[週刊電藝」2009年6月1日配信号より
関西自主映画上映イベント情報!
来る6月6日&7日の2日間、神戸映画資料館にて【極北の自主映画が来る!】と題されたインディーズ映画上映イベントが開催となる。
ここで気を惹くのは、何と言っても「極北」の2文字だ。「極北の自主映画」とはいかなるいものか? 「傑作」とも、「頂点」ともちょっと違う。定められた規範からの逸脱を予感させるこの言葉からは、得体の知れない不穏さを放ちつつ、同時にとてつもなく魅力的であるという、魔力めいた引力が感じられる。
[週刊電藝」2008年9月15日配信号より
『嫌われ松子の一生』。
僕にとってつらい映画だと、劇場公開時に友人が気遣ってくれた作品だ。
鑑賞したとmixiの日記で書いた時も、一人のマイミクさんが「大丈夫か?」とTelしてくれた。
中谷美紀扮する松子がヒロイン。松子は転落人生を辿り、ボロボロになっていく。松子は美女だったが、人生の渦に巻かれて堕ちていく。それに伴って端麗だった容姿は原型を留めないほど崩れていく。同時に行為・言動も崩れていく。この「崩れていく」は「壊れていく」と言い換えてもいいだろう。終盤の松子は、一見、キ○ガイだ。
[週刊電藝」2008年6月2日配信号より
昨年秋、以前連載した本欄を読んでくださった読者からのお便りがあったと編集長からメールがありました。さっそく続編(?)を書こうと思いつつ、諸事情でもう春になってしまいました。
お便りを送ってくださった方が挙げていたのは「恋愛小説」。<愛人映画> とは、もともと自分のホームページでの企画なのですが、だいぶ前のことなので記憶も薄れており、今見直してみたのですが、この映画は残念ながら入っていませんでした。
[週刊電藝」2008年4月14日配信号より
プロスペル・メリメ/杉捷夫
「トレドの真珠」
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黒人の騎士チュザンニは、トレドの真珠と褒め称えられる絶世の美女オーロールを手に入れるために、ドン・ギュッティエレに果たし状を渡す。だが、泉水のほとりで、騎士は無惨にも決闘に破れ、命果てようとしていた。そのとき駆けつけたトレドの真珠に、騎士は……。
[週刊電藝」2008年1月07日配信号より
2003年の本欄で「ビリケンさん」という稿を認めた。人の興味というものは経年変化するようだが、小拙のビリケンさん熱は4年経っても冷めていない。当時の文章を「○」に、それに関連した現在の文を「▼」にまとめてみた。
[週刊電藝」2007年7月23日配信号より
微熱を保ちたいから
想い続けるのか、
想い続けるから
微熱が続くのか、
[週刊電藝」2007年7月9日配信号より
ようちえんから帰ってくると、ママがテーブルに突っ伏して泣いていた。
まるで床に転がった子犬みたいにしくしく泣いていて、私はびっくりして恐る恐るママに近付いた。
ママ、どうしたの? どこかいたいの?
ママは何も答えない。ママは身体を震わせながら赤ちゃんみたいにわんわん泣いていて、時々車にひかれて死にそうな猫みたいに、痙攣するみたいに左足首がぴくぴく動いた。私はママの横を通って自分の部屋に入って、
[週刊電藝」2007年2月5日配信号より
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塚
本
敏
雄
冬は必ずやって来る
寒い朝のテーブルの上に
堅い種子がひとつ
身動きもせずに
何かと闘っている
わたしはときおり手にとって
実の堅さを確かめる
[展評エッセイ]
text/慧 厳
公営巨大貸し画廊「国立新美術館」もついにオープンし、いまや“六本木アート化計画”に邁進するこのエリアの総本山たるヒルズの森美術館へ、足を運ぶ。
広がりゆく格差社会の中で、勝ち組の笑いが止まらないせいか、「笑い」をテーマにした二つの展覧会が併催されるという、思えば皮肉かつ、ユニークな試み。かたや縄文から近代までの日本美術の中に偏在する「笑い」を体系化して見せる
<日本美術が笑う> 展。かたやフルクサス以降の世界中の現代アートの中に遍在する「笑い」の様相を提示する
<笑い展 現代アートにみる「おかしみ」の事情>。
text/高梨・C・晶
「監督不行届」
出版のしごとにまだ携わっていたころ、「エレキな春」でデビューした某まんが家夫婦の本を部下が編集していた。夫婦とは打ち合わせもかねて何度か食事をしたが、世代が近いせいもあって、夫婦生活の話はとても面白く、好感をもったことをおぼえている。もっとも、夫婦とはたいてい面白いものであって、別の女性部下が結婚し(今は離婚したが)、自分たちの生活の話──たしか、ベッドからどうしても布団がずり落ちてしまうので、大きなゴムバンドで、ベッドごと足もとをしばりつけているとのことだった──を聞かせてくれた。