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 小学校の頃近所にいじめっ子が住んでいた。ブルートという渾名がついていた。ポパイに出てくる悪役の名前である。小学生にしては粋なネーミングだと言えなくもない。
 ぼくは近所だったのでよくブルートと一緒になった。学校から帰ってもブルートはぼくを遊びに誘いに来た。彼はまだ中学校に上がる前だというのに10段変速の自転車を持っていて、これでどこかに遊びに行こうと言う。しかしぼくは小学生用の自転車しか持っていなくて、「これしかないし…」というと、じゃあ歩きだっていいじゃないかと言うのである。
 これはみじめだった。彼が颯爽と自転車のペダルをこぐ脇でぼくは汗だくになって走った。彼は体も大きく力も強かったから逆らい難かった。
 一事が万事である。そしてそのような圧制に耐えていたのはぼくばかりではなかった。クラスの他の男子ばかりではなく女子までもが嫌な思いをしていた。6年生にあがったばかりのころ、ぼくたちはクラスの全員で彼を糾弾することに決めた。それは秘密の計画だった。日を決めて放課後に彼を呼びだし、みんなで彼を吊し上げることになった。
 その日はクラス中が朝から緊張していた。もちろんこの計画はまだブルートには伝えていない。彼には放課後になってから急に伝えることになっていた。ところがその日の午前中に体育の授業でぼくは彼とケンカになってしまった。どうせ放課後には彼を呼び出すことになっていたから、それまでは大人しくしていればよかったのかもしれないが、そういう成り行きになってしまったのである。
 薄暗い家庭科室の中で彼はぼくを押さえつけた。他の連中は、放課後まで待てというそぶりを示した。放課後になればどうせみんなでやるのだ。それまで待て。そして彼とぼくを引き離した。
 放課後になってぼくらは彼を校庭に呼びだしクラスの全員が彼を囲んだ。そして口々に彼の行跡をあげつらい彼を責めた。彼は最初は反論していたがだんだん声が小さくなっていき最後にはうつむいてしまった。女子までが彼を囲み、責め立てたことが決定的に彼を苦しくさせたことは明らかだった。彼は文句があるならこんなことをしないで個人的に言えばいいではないかという意味のことを口にした。それが出来ない者たちだからこそ衆を頼んでこのような行動にでたのだとぼくらは言った。ぼくらは徐々に興奮し、彼に謝ることを求めた。何を謝らなくてはならないかと次第に小さくなっていく声で最後まで抗っていた彼も、遂にはクラスの全員に対し謝罪の言葉を口にした。
 ぼくらは興奮していた。圧制に勝った民衆のようだとも思った。これは民主主義ではないかとも思った。ぼくは家の近くまで走って帰った。家の近くには事情を知る下級生が結果を知りたくて待っていた。彼らも普段は彼の横暴に苦しめられていたから、ことの成り行きを知りたかったのだ。ぼくは仲のいい5年生が待つ林まで走った。近くまで来ると彼らがぼくの報告を待って集まっているのが見えた。勝ったよ!勝ったよ!とぼくは叫んだ。桜が咲いていてはらはらと花が散っていた。花散る道をぼくは叫びながら走った。
 しかし心の底には、勝利にはほど遠い、どす黒く苦いものがあった。
 事実ぼくはその後の数年間、自分が群衆に囲まれて反論も出来ないという夢に苦しむことになったのだ

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