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 水上勉の『土を喰う』という本を読んでいたら、常備菜のことが出てきた。年中食卓に乗せる漬け物のことである。
 自分の無学をさらすようで恥ずかしいが、ぼくは常備菜という言葉を迂闊にも知らずにいて、はじめて知った。それで思い出したことがあった。
 水上勉のあげている常備菜は山椒の実を漬けたものだが、ぼくにとって一番の常備菜と言えば紫蘇の実漬けである。作り方は至極簡単で、紫蘇の実を採って塩に漬けるだけ。ぼくの住む茨城県地方には紫蘇はありふれた食物で、農家では畑の隅などにちょっと植えておく。梅干しを漬ける時に紫蘇の葉を使うが、実は実で漬けるのである。
 大学生のころ東京に住んでいて、ふと紫蘇の実漬けが無性に食べたくなって売っていないかとあちこち探した。ほんとうに至るところのデパートや食品売場を探し回ったのだが、驚いたことにどこにも見つからなかった。あれから20年、いまだにあの塩に漬けただけの紫蘇の実漬けが売られているのを見かけたことがない。
 母は毎年紫蘇の実を漬ける。年によって実の入りが悪く、おいしく漬からないときもあるらしく、今年の紫蘇の実はうまくないとか、去年のやつの方がうまいとか言っている。
 紫蘇の実漬けはそのまま御飯にまぶしてもうまいが、ちょっとしょっぱすぎるので、お茶漬けにするとさらに良い。塩を軽く入れてしょっぱくした炒り卵と紫蘇の実漬けを御飯に乗せてその上から茶をかける。それだけで滅法うまい。紫蘇の風味がこたえられない。焼いた塩鮭をほぐしたものを加えて鮭茶漬けにしてももちろん良い。
 ありふれた食べ物だからこそ食品売場には並ばないのだろうか。紫蘇の実にいろいろ混ぜたものならば見つからないことはないが、ぼくが求めているのはそうしたものではないのである。ぼくは20年前に紫蘇の実をデパートで見つけることが出来ず不思議な気がした。いま考えてもやはり不思議だし、何故か悲しい気分になる

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