恋人に会うために、京都へ行く。
彼は“嵐と一緒にきたね、姉さん”といって、はにかむ。
“夜半には強い雨になる。そうしたらふたりで雨の中を歩こう。”
わたしは、彼の申し出はなにひとつ断らない。彼は、まだそのことに気づいていない。
知恩寺の骨董市をふたりであるく。手作りのシソシロップを売ってるひとが、ひとつどうですか?と、うすめたジュースをさしだす。まるで、色を付けたようなあかむらさきの液体を、喉に流し込む。からだから熱がすっときえる。
ちいさなペットボトルにつめた150円のシロップをひとつ買う。
地下鉄にのり、御所近くの小さなホテルにむかう。互いに伴侶を持っているのだが、ときどきこうして会って、一晩中キスを繰り返す。彼は、その大きな手でわたしの頭を包み込み、髪をくちゃくちゃにして何度もくちびるを重ねてくる。たがいの身体を交えることには興味はない。
ふとわたしは彼の手をとり、ひとまわり小さな自分の手で、大切な到来物のように包み込んでみる。指をひとつひとつ開いては眺め、そっと薬指をつまんでくちに含む。指のさき、爪、第一関節、第二関節、指のまた、と何度も舌を這わせていくと、熱と唾液ですこしずつ溶けていくのがわかる。目をつむって舌先の感覚だけに集中する。濃紅色の舌だけを残して身体は薄墨の闇の中へ黒い泡沫となって消えていく。部屋の中には、雨音、エアーコンディショナーの機械音、そして指をしゃぶる音だけが響く。その単調な音の重なりを、闇に溶けた耳はじっととらえている。唯の存在となった舌は、彼と自分以外の、この世の全てのものが溶けてしまえばいいのにと思いながらうごめく。やがてとろとろになった彼の指は、少しずつわたしの喉に流れ込んでくる。生暖かいものが喉をとおっていくとき、すこししびれるように感じる。しばらくそうしているとちゃりちゃりとした舌触りの骨があらわれる。ようやく、くちからするりと薬指をぬきとり、なんとも細くなってしまった指先をみて、ふたりでわらう。彼は“ひどいことする”といってキスをしてくる。わたしは彼からそっと離れて、また指をくちに入れ、今度は少し強く噛んでみる。ぐりっとにぶいおとがする。
“お骨をひろうとき、食べる人がいるらしいけど、あれ、熱くて食べられたものじゃないらしいわ”
彼はベッドから降りて、窓の外をのぞいて“早く豪雨にならないかな”という。
夜中に激しい雨音で目覚める。彼は、寝息をたてている。明日になったら、きっと雨の中を歩けなかったことを悔やむのだろう。
翌日、夜の九時過ぎに世田谷の家に戻る。台風は過ぎ去っている。手提げの中にシソシロップのボトルをみつけ氷水で薄めて飲む。飲み干すとき、のどに熱いとも冷たいともわからないひりひりとした痛みを感じて咳込む。
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