子猫をひろう。黒い子猫である。正確には子猫ではなくすでに大人になりかけている。やはり、猫をひろうのなら子猫でなければ。そんな、人間の勝手都合を知っているかのように「大人になってしまう前に早くひろってくださいまし」と、猫は小さなそのからだとはアンバランスな大声でなく。「しかたがない」と、両の手でひょいと持ち上げると、垂れ下がった足をぶんぶん振り回して抵抗する。「いやなのですね」地面に下ろしてやる。飼いたかったわけでもないのでそのまますたすた歩いていくと、ついてくる。ついには戸口までついてきて、開けた戸からエスコートされた客人のようにするりと中へ入ってしまった。この猫との相性がはやくも懸念される。
猫は「これがわたしのごあいさつだ」といわんばかりに家の中をあちこちかぎまわる。わたしは、いつもの帰宅時と同じ段取りで上着を着たまま、まず湯を沸かす。その間に上着を脱ぎ、コンタクトをはずし、化粧を落す。いつもはこの動線にPCの立ち上げが入るのだが、今日は猫に気を取られて抜ける。猫は危険がないのを確かめて少しリラックスしはじめる。わたしはお茶を入れ、ひといきつきながら猫の様子をながめる。やがてひどい眠気に襲われて、どこをどうしたののかいつのまにか寝間着に着替えて寝てしまう。
朝、おそめに目覚めて居間に行くと、ソファに黒い服の男がよこになっている。ゆうべ余分に入れておいた冷たいお茶を飲みながらながめる。別段ハンサムというわけではないが、清潔感のある地味な文学青年というかんじ。「黒猫だから黒ずくめですか」わたしはあくび交じりに声をかける。「まあ、一応」そういえば、伴侶の姿が見えない。「ゆうべ主人は帰ってきた?」「ええ、食いました。おなかが空いていて」黒猫は舌でうわくちびるをなめた。眉間の奥がつーんとする。「そうだったの」冷蔵庫をあけながら、そうか猫って肉食だもんねえ。などとぼんやり考える。
自己紹介をしあうにも子猫なわけだし、なんにおいても経験や記憶というものは少ないだろう。ひとことで話はつきてしまう「寒くっておなかがすいてた」おしまい。わたしはといえば、話せば一晩はゆうにかかりそうだ。気合を入れてあれこれ話はじめたが1分と立たぬうちに黒猫は大あくびをした。自分の経験などひとことですませといわれればすませられないわけではないんだな。そんなものか。と思い「とはいえ、とくになに不自由ございません」おしまい。「じゃあ、なんで僕はここにいるのかな」黒猫は起き上がってソファに座り直す。「僕はあなたの願望ですからね」主と飼猫だから、いくら相手が人間の姿になろうと急に人間扱いは出来ない。「拾ってあげたのはわたしなのよ」「僕が来てあげたんだ、ここに」「別に猫なんか、拾わなければよかった」というと、黒猫はごろごろという音をたててわたしによりかかってきた。「これは、猫だ猫」と、自分にいいきかせながら抱きしめる。「僕とふたりきりで暮らすという、あなたの願望はかなえられたんだよ」黒猫が言う。黒猫はKの姿になっていた。願望?願望ってなんだろう。くりかえしつぶやいていると、やがて抜け殻のような「ガンボウ」という音がふわふわと浮かんで窓から寒空へでて
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